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どうすればもっとよい仕事ができるのか、でも同時に、どうすればもっと充実した生活を送ることができるのか......ただたんに、成果を出すためにがむしゃらに頑張るような生き方が、自分にとって理想とは思えない。
ジョナサン・マレシック『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか──バーンアウト文化を終わらせるためにできること』(吉嶺英美訳、青土社、2023年)は、アメリカの大学でテニュアを獲得し教員として働いていた著者がバーンアウトを経験して大学を退職した経験をきっかけに、それをたんに個人的な問題としてではなく、社会的あるいは文化的な問題として捉え、私たちの職業をめぐる文化をどうすれば変えることができるかを探る著作である。
マレシックは、大学時代に自分が関わった教授たちの生活に憧れ、自身も研究職を目指すこととなった。映画などの文化的教養に溢れ、知的好奇心ある学生たちと議論を交わす教授たちの生活――マレシックは、自身もそのような生活を送るのだという理想を抱いていた。
ところが実際のところ、マレシックは勉学に対する意欲を欠いた学生たちを相手に授業をこなし、大学の運営仕事に忙殺される日々を送ることになる。この理想と現実の乖離がマレシックを蝕み、ついには退職をするまでに追い込んでいったのだ。
しかしバーンアウトも著者の研究魂を完全に挫かなかったのだなと驚かされるのだが、マレシックはここから、バーンアウトについての先行研究を読み、調査を重ねることで、これが現代の労働倫理にもとづく社会的問題だということを明らかにしていく。
私たちの社会にはバーンアウトへ向かいやすい素地が織り込まれているのだ。またこれは、たとえそれがバーンアウトに続く道であったとしても、ひとまずこのコースに乗ることができてしまう人たちこそが、「優れた」労働者だという価値観を形成しもする。
さまざまな生活を送る研究者が集ってこそ、私たちは多様な視点から人間や世界を捉えることができるようになる。そのためにも安直な生産性至上主義から私たちは抜け出すべきだ。
マレシックは、生産性に縛られずに生きる人々を求めて、修道士にまで会いに出かける。
もちろん私たちみなが修道士になるわけにはいかないのだが、しかしその生き方の根幹にある考え方、すなわち互いの尊厳を信じ、互いの人間としてのニーズと仕事のバランスをつねに念頭に置いていることから学べることはあるだろう。
他者や自分自身の尊厳を認めることの重要性、それはおそらく、先日芥川賞を受賞した松永K三蔵の小説『バリ山行』(講談社、2024年)にも通じる話題だ。
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