バブルは金融経済だけのことではない。バブルは、何よりもまず人々の脳を占拠し、胃袋を刺激し、心臓の鼓動を激しくする。文化もまたバブるのである。となれば、そのこと自体、つまり、あらゆるものを「虚構」にしてしまい、その「虚構」を現実化すること、そのこと自体を「思想」の対象にできるのではないか。そう私は考えた。
これは一種の「文明論」というべきものである。そこで、「思想時評」をまとめ、同時期に書いた論考とあわせて一冊の書物を出版したのだが、そのタイトルは『擬装された文明』(TBSブリタニカ、1988年)である。これもまた『アステイオン』から生まれたような書物であった。
ところで、今回の依頼を受けた時、実は40年近く前に「思想時評」に何を書いたのか、私はすっかり忘れてしまっていた。それを『擬装された文明』という書物にまとめたというようなぼんやりした記憶はあるものの、その書物も見当たらない。
そこで仕方なく親しい元院生に聞いてみると、その本を持っている、という。早速、彼から借りてきた。その時に、この若者は「この時評はいまでも通用しますよ。まったく世の中、変わっていませんね」という。興奮気味に言うその口吻が少し面白かった。
このことを、もちろん、私は自慢したくていうのではない。それどころではない。「世の中、まったく変わっていませんね」ということが気になるのである。
いや、表面的に見れば、時代はずいぶん変化したであろう。90年代に入ると、80年代バブルはいっきに崩壊し、日本経済はその後の30年にわたるトンネルに突入する。
消費文化の沸騰やブランドブームもジュリアナもかすみのなかに消えてしまった。冷戦が終わり、イデオロギー対立はほぼ意味を失い、アメリカ主導のグローバリズムがやってきた。また、これもアメリカ主導のIT革命が世界中を覆い、東も西も北も南もネットワークでつながり、情報こそが世界を動かす時代となった。
しかしこのグローバリズムの30年後の世界を眺めてみれば、冷戦に勝利したはずのアメリカの混乱と凋落は覆いようもなく、それに対抗して台頭した中国もどこに向かっているのか予測しがたい。新自由主義と市場中心主義は混乱だけを置き去りにした。
そこに冷戦以降に顕著となったイスラム主義と欧米の対立や、近年のロシア・ウクライナ戦争などを付け加えれば、この30年ほどの変化は著しい。わずか30年ほどの間に、何かある力が大きく働き、それが何かを無残に破壊した、という印象が強い。
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