だが、それにもかかわらず、40年ほど前に私が「思想時評」で問おうとした問題、つまり、現代文明の大変化のこの時代に、「知識人はどうあるべきなのか」、そして「思想は意味を持つのか」という問いは決して色あせていないように思う。
それどころではない。その問いは、いっそうの危機感と切迫感をもってわれわれに迫ってきているのではなかろうか。
すべての変化の端緒を開いたのは80年代であった。思想においても社会構造においても、世界の枠組みにおいても、確かな秩序が失われ、それを組み立てる歴史観も世界観も見えなくなった。
その端緒はあの沸騰した時代であった。先進国は工業化と安定した経済成長の時代を終え、次の事態への模索を始める。ポストモダン文化、情報化、国際化(グローバリズム)、絶えまない技術革新、経済成長率の低落、アメリカ中心の世界秩序の不安定化、これらはすべて80年代に始まっていた。
そして、このような変化は、思想が依拠するべき確かな歴史観や世界観、つまり、人々の世界へ関わるための確信を打ち砕いていった。その結果、人々は、ただただ現象の表面を漂いつつ、その表層で絶え間なく生じる変化に振り回され、確かな指針をもたない政策論に翻弄される。問題は山積みである。
しかし、われわれはその扱い方どころか、どのように考えればよいのか、途方に暮れている。結果として不信だけが拡散する。政府も官僚も組織もおまけに家族さえ信用できなくなり、国家の間でも同朋同士でも不信感が渦を巻いている。
この壮大な「ニヒリズム」の時代に、「力への意思」がむき出しで出現するのは当然であろう。
それは、世界的規模でいえば、ロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナの対立、中国とアメリカの「新冷戦」であり、もっと小規模な、しかしわれわれの日常にとっては深刻なレベルでいえば、学校教育現場の混乱、大学教育・研究環境の著しい劣化、SNSのなかで繰り広げられるデマや非難。
中間的な規模でいえば、情報化が加担するフェイクを伴った民主政治の混乱、経済成長の鈍化と過剰なまでのイノベーション競争、それにいわゆるブルシット・ジョブなどなど。
こういう時代の流れを『アステイオン』は経験してきた。私には、それは、現代文明がその頂点を迎え、その後の衰退と混乱へと変質してゆく情景であり経験であるように思われる。
あらゆる文明には神もいれば悪魔もいる。現代文明はそれが隠し持っていた悪魔の跳梁に踏みにじられようとしている。しかし、それだからこそ、思想の再建と文明論の構築が不可欠である。『アステイオン』には、今後もそのような骨太な思想的・文明論を期待したい。
佐伯啓思(Keishi Saeki)
1949年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。滋賀大学教授、京都大学大学院教授などを歴任。著書に『隠された思考』(筑摩書房、サントリー学芸賞)、『「アメリカニズム」の終焉』(TBSブリタニカ、NIRA政策研究・東畑記念賞)、『現代日本のリベラリズム』(講談社、読売論壇賞)、『近代の虚妄』(東洋経済新報社)など。言論誌『ひらく』(A&F BOOKS)の監修を務めた。
『アステイオン』100号
特集:「言論のアリーナ」としての試み──創刊100号を迎えて
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
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