アステイオン

80年代

『東京人』『アステイオン』『外交フォーラム』...3誌を生んだ「時代の機運」と共通点

2024年09月25日(水)11時00分
高橋栄一(都市出版『東京人』編集長)
東京 

Philippsaal-pixaba


<バブル経済時には日本の国際的なプレゼンスが高まり、それに見合う国際貢献が求められていた。それと同時に海外に発信していく機運も盛り上がっていた>


ある座談会後の酒宴「直会(なおらい)」が終わった後、山崎正和さんから言われた一言が、20年を過ぎた今でも繰り返し聞こえてくる。

『東京人』は「を」と「で」を意識したらいい――。

つまり歴史や文化や芸術、建築、都市の整備、教育などを通して、東京「を」考える。東京「を」表現し伝える。

東京には地方出身者、外国人、政治家、役人、職人、有識者、芸術家、科学者、LGBTの人もいれば、海外で活躍する日本人も多くいる。

また、ときに争いも含めて、あらゆる人々の交流や相互作用を東京『で』なら体験でき、声を引き出し、批評し、考えたりもできる。人が集まるのが東京である。つまり、「で」というのは、東京という「場」の優位性を大切にということだ。

私が編集長を務める月刊誌『東京人』も『アステイオン』と同じ1986年に創刊された。そして、もう1つ発行人を務める隔月刊誌『外交』(旧『外交フォーラム』の後継誌)は1987年と、こちらもほぼ同じ時期に創刊されている。

この3誌に通底するものの1つは創刊時期が近いこと。2つ目に、バブル経済の恩恵を受けて、サントリー、東京都、外務省という良き後援者に恵まれたこと。そして第3に、いずれも創刊編集長が粕谷一希という点である。そのため編集委員や執筆陣の多くが重複している。

『アステイオン』の創刊号から「大正幻影」を連載し、同作でサントリー学芸賞を受賞。『東京人』で、その続編ともいうべき「荷風と東京」を連載して読売文学賞を受賞した川本三郎さんはその代表と言える。

当時はバブル経済にあり、日本の国際的なプレゼンスが高まっており、それに見合う国際貢献に加えて、言論と英知を国の内外で磨きあげる場を提供し、あわせて海外にも発信していこうという機運が盛り上がっていた。

日本は国際社会の単なる財布に終わってはならないとの目標が共通してあり、『外交フォーラム』は年に数回英文版を出版した。

また、『アステイオン』もダニエル・ベルさん、ハーバート・パッシンさん、そしてヴォルフ・レベニースさんという世界的な知性を編集委員に迎え、海外の一流の執筆陣からの寄稿が寄せられていた。そして、『アステイオン』の姉妹誌であった英文誌『コレスポンデンス』の功績も実に大きなものであった。

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