ギリシャ語で「都市らしさ」という意味を持つ『アステイオン』と、文字通りの『東京人』。人が集まる場所が都市であり、そして会話を気持ちよく、実りあるものにするための技術やマナーを「都市らしい」振る舞いと呼ぶのであろう。
まさに都市とは文化や芸術、英知を生むためのインキュベータのことであり、もっと言えば、普通の都市生活者にとっても楽しい「耳学問」の場でもあると思う。
また、競技場や劇場を意味するアリーナと集会所や広場を意味する『フォーラム』は、場所や空間を提供する目的を表す言葉である。山崎さんが強調したのは、社交や交流、サロンといった「場」の提供であった。その集う場がアリーナであり、フォーラムなのであろう。
そのサロンに罵声や怒鳴り声は相応しくない。より高度な知恵はさまざまな考えや、専門の違う人々――すなわち多様な人々が集い、意見を交換することから生まれる。
中央公論の嶋中鵬二社長の「中央公論サロン」における粕谷一希、高坂正堯、山崎正和、永井陽之助、塩野七生の各氏の縁はよく知られているが、そのサロン的企画の代表が雑誌で言えば座談会である。
結論に向かって丁々発止やりあうものの、予定調和的に収まる座談会も面白いし、話が予想外のところにいってしまい、編集者の困った顔が見えるような座談会も味がある。それぞれ専門を持つ知的な人々の座談会が暴走を始めるのは、たとえ尻切れトンボに終わったとしても貴重な記録になる。
『東京人』では長く、丸谷才一氏をコアとする鼎談「東京ジャーナリズム大合評」という座談会を連載したが、丸谷さんと並ぶ座談の名手である山崎正和さんにも幾度か参加いただいた。
丸谷さんの座談会はまさに丸谷作・演出のドラマのようであり、話の展開は丸谷氏の緻密な脚本に則って行われることが多かった。
丸谷・山崎対談は質・量ともに豊富であるだけでなく、お互いがお互いの脚本を理解し、お互いに脱線を演出した。その様子は『日本の町』(文春文庫)や『日本史を読む』(中公文庫)などで読者を今も楽しませてくれる。
まもなく創刊40年を迎える『アステイオン』の100号記念号は「言論のアリーナ」としての同誌の立ち位置が明確に読み取れる内容だったと思う。
創刊に携わられた山崎正和さんも、高坂正堯さんも粕谷一希も佐治敬三さんも亡くなり、とても寂しい思いがする。しかし、この間、サントリー学芸賞の充実ぶりなどを見るにつけ、サントリー文化財団の粘り強い営為に頭が下がる思いだ。
vol.101
毎年春・秋発行絶賛発売中
絶賛発売中