アステイオン

メディア

なぜ、私たちはすぐに「正解」が分からないと満足できなくなってしまったのか...「デジタル化」と「紙媒体の弱体化」

2024年08月21日(水)11時35分
猪木武徳(大阪大学名誉教授)

近年の日本の研究費配分政策は「稼げるか」「役に立つか」という視点からの経済支援が基本となっている。したがって平常時には表面化しない事柄について研究する「役に立たない」分野の研究の経済的基盤は強くはならない。

こうした現象はわれわれの安全保障感覚の鈍さと無関係ではない。短期的な視点から「稼げるか」「役に立つか」を考えるだけでは、不確実性に満ちたこの世の自然現象や偶発事などに適切に対応することは難しい。

火事は滅多に起きないから消防署は不要だと論ずる類の教育・研究の評価基準ほど国を過つものはない。

「紙媒体」による公論形成の場の活性化を期待しつつ、最後に2点指摘して結びとしたい。

(1)日本には、ウェブのニュース、テレビ報道、良質の日刊新聞はあっても、週単位で世界情勢や国内政治を振り返る「週刊新聞」はなきに等しい。瞬時瞬時の事件の報道はあっても、その出来事を少し長期的な視野から再検討して「公論」を形成するという姿勢は弱い。

ちなみに日本の一部「週刊誌」は、大新聞が報道しないような重要なニュースを読者に伝え、社会の不正や歪みを告発する浄化機能を持っている。

近年いわゆる大新聞が報道しなかった重要な社会問題を「週刊誌」が取り上げ、執拗に報道し、問題の深刻さに警鐘を鳴らす事例がいくつかあった。

これはいわゆる大新聞や公共放送の「メディアの沈黙」として問題視された。「メディアの沈黙」はthe elephant in the room(重要なのに誰も触れたがらない問題)にもたとえられた。

(2)「紙媒体」の持つ力を再認識すべきだろう。内政や外交、国際情勢について解説を加え、意見を公にする場所として、大新聞が一部スペースを割いているものの、不十分の感は拭えない。

これまで、その不十分さを月刊・季刊のいわゆる「論壇誌」がカバーしてきた。しかし近年はネット配信の短いニュース記事が従来の日刊紙の役割を一部代替してしまった。

紙媒体のメディア、論壇誌が弱体化することは、公論形成の弱体化を招く可能性が高い。

先に言及したウルフ氏が指摘するように、短絡的に素早く反応するだけではなく、常に「よく考えてみれば」という「第二思念(second thought)」として、反省的に物事を捉える精神を鍛えるメディアが今の日本に強く求められているように思う。


猪木武徳(Takenori Inoki)
1945年生まれ。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授などを歴任。専門は労働経済学、経済思想、経済史。主な著書に『経済思想』(岩波書店、サントリー学芸賞)、『経済学に何ができるか』(中央公論新社)、『文芸にあらわれた日本の近代』(有斐閣)、『自由の思想史』(新潮社)など。


asteion_20240520113411.png


 『アステイオン』100号
  特集:「言論のアリーナ」としての試み──創刊100号を迎えて
  公益財団法人サントリー文化財団
  アステイオン編集委員会 編
  CCCメディアハウス


(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

PAGE TOP