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なぜ、私たちはすぐに「正解」が分からないと満足できなくなってしまったのか...「デジタル化」と「紙媒体の弱体化」

2024年08月21日(水)11時35分
猪木武徳(大阪大学名誉教授)

現代の問題としては、過剰で不適切なAIの使用によって知力と言語能力の衰弱を生む可能性があり、スマホなどデジタルな媒体による読書やニュース・情報の入手の影響が問われねばならない。

「デジタルで読むか、紙の本で読むか」というふたつの方法には根本的な相違があるようだ。この点については、2020年7月に読売新聞「あすへの考」(教育の中での読書)でも紹介された米国の神経科学者のメアリアン・ウルフ氏の見解が参考になる。

ウルフ氏はふたつの読書法を比較して、「デジタル媒体は速読向き。染まると、ヒトは短絡的になり得る」のに対して、紙の本は「深く読む脳」を育む、としている。

他者を理解することには時間がかかる。そこにデジタル媒体の読書法が主流になると、人はいよいよ短絡的になり、自分と同じ考えを持たない人に苛立ち、他者に対して寛容であることが一層難しくなる。

短絡的な思考に走らない粘り強い知力を養うには強い精神と体力が求められる。短絡的な精神は、意見を異にする人々(論敵)との共存というリベラル・デモクラシーの基本原則を脅かすからだ。

確かにスマホの普及で人々の会話のスタイルが変化してきた。何か分からないこと、思い出せないことが出てくると、誰かがスマホを取り出してたちまちのうちに「正解」を皆に知らせる。

言い換えれば、「分からないこと」「思い出せないこと」に耐え忍ぶ力が薄弱になりつつあるのではないか。人々は次第に短気になって、直ぐに「正解」が分からないと満足できないのだ。しかし直ぐ分かるような問いには重要なものは多くない。

この「理解できないことを耐え忍ぶ力」を消極的能力(negative capability)と呼んでその重要性に触れたのは、イギリスのロマン派詩人J・キーツだ。

それは「人が不確実さとか不可解さとか疑惑の中にあっても、事実や理由を求めていらいらすることが少しもなくていられる状態」を指す(『キーツ書簡集』1817年12月21〜27日(?))。

早い理解は浅い理解になりがちなことをわれわれは経験から知っている。よく理解するためには、分からないことに向かい合い、決して問題点を見失わないという強い意志が必要になる。

さもないと「生成AI」と呼ばれる新技術を無制約に使用し、われわれの思考は機械任せになってイライラし続ける恐れがある。

(Ⅱ)旧稿「奴隷・ソフィスト・民主主義」では、第三点としてメディアと言論の自由の問題について述べた。

米国における「言論の自由」の現状に関しては『アステイオン93』(2020年)に掲載された「正義と開かれた議論についての公開書簡」(田所昌幸訳)にも実情が示されている。言論の自由を活力として発展してきた自由社会の危機がいかに深刻かが分かる。

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