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なぜ、私たちはすぐに「正解」が分からないと満足できなくなってしまったのか...「デジタル化」と「紙媒体の弱体化」

2024年08月21日(水)11時35分
猪木武徳(大阪大学名誉教授)

古代社会には現代のような、高度の複写技術と通信技術は存在しなかった。しかし知識と情報が経済的価値を持つことには変わりはなかった。

教育は政治的・経済的野心を成就させるための有力な手段であることを市民は知っていた。言論の自由は多種多様な知識を開発・散布し、知識の質の良否についての判断力が求められる。

ペルシャ戦争後のアテナイの民主制は、学問が公共生活の舞台の中央に登場し、学芸と弁論が新しい真理の発見に必要欠くべからざる能力を与えるだけでなく、人を説得させる技術としても重視されたのである。

そのために、謝金を払ってでも、学芸と弁論術を身につけたいと思う者、それを教授する「半分教師で半分ジャーナリスト」のような職業人が現れた。いわゆるソフィストである。

彼らの多くは決して詭弁や屁理屈の妙手ではなく、人々の意見や考えの相違、不一致、あるいは一致への強制がないことが、人間知性開発の最良の方法であることを知っていた人々である。

人間の重要な知識の中には種々さまざまな関心から世界を探究していた人々の、「意図せざる副産物」として生まれ出たものが多いことも知悉(ちしつ)していた。

政治選択においては多数の意見に従うのが大原則であるが、多数が常に正しいわけではない。人気や世評は移ろい易い。

みんなが直ぐに関心を持つ問題を追求するのは学芸でもなく、ジャーナリズムでもなく、芸術でもない。自分の内発的な関心から孤独な探究を続ける研究者がいてこそ、その国の学問や文化に厚みと強さが生まれる。

そうした例は、近年日本のメディアに登場する研究者の厚みにも現れている。2022年2月のロシアによるウクライナ侵略は国際政治の急激な変動をもたらした。その原因をどのように理解し、戦況を正確に知るにはどうすればよいのか。

わが国の地域研究は、専門家の層が薄いと言われていた。しかしこれまで一般の人々には知られていなかった研究者が、テレビや新聞で専門家として解説を加え、われわれの蒙を啓(ひら)いてくれたことは記憶に新しい。

また、世界を驚かせた2023年10月のハマスとイスラエルとの戦闘も、現在だけを観察していてはわれわれ日本人には十分には理解できないところがある。

パレスチナ自治区ガザ地区やヨルダン川西岸のような地域がどのような歴史で生まれたのかを理解した上で現況を誰がどう説明できるのか。

しかしこの場合も、ガザ地区の内部の政治的社会的構造、その生成の経緯と現況に解説を加える専門家が現れた。

生物学からの例も記しておこう。30年近く前、「特定外来生物」に指定されている「セアカゴケグモ」がはじめて大阪で発見されて大騒ぎになったことがあった。

オーストラリアに生息するこの毒グモがコンテナなどに紛れて日本に運ばれてきたのだろうか。その直後、「セアカゴケグモ」の研究者がテレビで、その毒性や生息場所(自販機の下、排水溝の蓋の裏など)、噛まれた場合の応急措置について解説を加えていたことを思い出す。

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