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ともにデヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を愛読していた、2人の生命科学研究者がグレーバーの遺作『万物の黎明』を手に取ったのは自然の流れだった...。
代謝適応進化を研究する小埜栄一郎(サントリーグローバルイノベーションセンター株式会社主幹研究員)と代謝工学を研究する松田史生(大阪大学大学院情報科学研究科バイオ情報工学専攻教授)という2人の理系研究者が、社会・経済人類学者の本(デヴィッド・ウェングロウとの共著)を読んで得た気づきとは? 研究との共通点、相違点について議論した。
小埜 『万物の黎明』での主張は目から鱗でした。西洋の啓蒙思想は、「野蛮で愚かな未開人の先住民文化」に対して「西洋文化は高度に成熟した文化」であると意図的に設定することで自分たちの優位性を保っていた。
しかし実際にはその逆で、先住民の洗練された思想によるに西洋批判に対する「バックラッシュ」として西洋の啓蒙思想が生み出されたというのです。
松田 20世紀の先史学者・考古学者であるV・ゴードン・チャイルドが1925年に出した書籍『ヨーロッパ文明の黎明』が、内容的にも『万物の黎明』に影響を与えていると、訳者の酒井隆史氏は本書の解説で指摘しています。「そもそも人間を人間たらしめている自由を再発見できるかどうか」(609頁)という切り口から人類史にアプローチしたのが本書である、と。
まず、ルソーやホッブスの社会理論が説明する、「社会契約を結んだ社会へと進歩した」や「好戦的な存在が卑しい本能を手なずけて社会が生まれた」といった、社会的不平等の起源を批判します。
17世紀のアメリカ大陸では、イエズス会宣教師が先住民の啓蒙を試みていました。しかし、ネイティブ・アメリカンの哲学者カンディアロンクなどから、ヨーロッパ社会は寛大でも親切でもなく、「自明である三つの自由」を実現している先住民社会よりも劣っていると逆に痛烈な批判を受けます。
小埜 今では想像することも困難ですが、カンディアロンクは、①移動し、離脱する自由、②服従しない自由、③社会関係を創造し、変化させる自由が社会の安定化に必要だと唱えたんですよね。
松田 まず、その対話を収録した『イエズス会書簡集』が広くヨーロッパ社会で読まれ、アメリカ先住民の説く自由、平等といった概念が浸透し、フランス革命へとつながったっていったという指摘。さらに、ヨーロッパ側からの反論として上のような起源の神話が形成されたという指摘には驚きます。
ヨーロッパは自由、平等という概念をアメリカ先住民社会から学んでおり、その事実を隠し、アメリカ先住民社会にマウントを取るためにルソーやホッブスの社会理論が作られたというグレーバーの主張は、目から鱗どころか、なにか知的なパンチを喰ったような気がしました。
小埜 学問分野や研究者に限らず、人間は物事をシンプルに理解したい動物です。前よりも「知的負荷」が軽減されると「分かった」となります。
人類史もそうですが、我々の専門である生物学でも、知り得た知識を持ってしか現象の因果を説明できません。ですから、説明の精度は知識の量に制約を受けてしまいます。これまで語られなかった例外を集めて定説を覆す新しいストーリーを紡ぐというのはフレッシュな視点を与えてくれます。
本書で取り上げられた先住民社会の事例が、どれほど世界全体を反映しているのか、定量的なことは分かりませんが、少なくとも例外として片付けられない説得力がありました。
松田さんは人文学のケーススタディーの頻度や信頼性についてどのように感じておられますか?
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