そして、私がアカデミズムの世界に飛び込んだのにはもう1つの理由がある。
アステイオン編集委員である武田徹氏の『日本ノンフィクション史──ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで』(中公新書)は、アカデミアとジャーナリズムの関係を考える上で、私が大きな影響を受けた1冊である。
武田氏は本書で、ノンフィクションは「確かさ」を作者の内面に帰属させ、外部から介入の余地をなくしてしまうため、反証可能性に向けて開かれていないと述べる。
確かに、ノンフィクションの世界では参考文献の記載がないものやどこで誰から聞いたか判然としないものもあり、科学的な命題となり得ないものも少なくない。
一方、アメリカでは1980年代にリテラリー・ジャーナリズムと呼ばれる作品が多く書かれたという。その特徴としては、「主題への没頭(Immersion)」、「記述の構造への配慮(Solicitude)」、「記述の正確さ(Accuracy)」、「語り口(Voice)」、「語り手の責任(Responsibility)」だといい、武田氏はその中でも「語り手の責任」に注目する。
なぜ日本ではこのような潮流が起こらなかったかといえば、ノンフィクションの語り手の社会的な位置付けを武田氏は指摘する。
アメリカではリテラリー・ジャーナリズムの語り手は執筆の一方で、大学で教鞭を執っており、そういった意味で「アカデミック・ジャーナリズム」でもあったという。経済的な基盤があるからこそ、商業的に売れるものにこだわる必要がなく、誠実な書き方にこだわることができた、というわけだ。
もちろん、武田氏も指摘するように、日本でもノンフィクションの書き手による「語り手の責任」を伴った作品がアカデミックに評価されることはある。
例えばサントリー学芸賞など多数の賞を受賞したノンフィクション作家の黒岩比佐子氏の仕事がそうだろう。
だが、黒岩氏は大学で教鞭を執っておらず、生活は保証されていなかった。象徴的だと感じるのは、黒岩氏が読売文学賞を受賞した作品が『パンとペン』(講談社)というタイトルだということだ。
本書は大逆事件が起きた弾圧の時代の社会主義者である堺利彦を主人公に、彼が編集プロダクションの先駆けである売文社を立ち上げ、文筆代理を請け負うことで、窮地に陥った仲間たちに仕事や居場所を与えた様を描く。
黒岩氏ががんの闘病をされている時期に、私はちょうど読売新聞読書委員で一緒であったが、一人暮らしで金銭的な保証もないフリーランスの書き手が、病身でこのような大作を書くのは精神的にも経済的にも苦労されたようだった。
そのような思いも本書には込められているように感じる。
vol.101
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