ひとつは、1895年の東海散士(柴四朗)『佳人之奇遇』第1巻。作者自身の投影された元会津藩士が、アイルランドから英国の弾圧を逃れて米国に亡命した愛国者らと出会い、戊辰戦争による自らの「亡国」経験を重ねる。
もうひとつ、1928年の佐藤春夫『日章旗の下に』は、1876年に奴隷として日本からアフリカに売られたが解放され、日本の台湾領有後(1896年)、その植民事業に関わった人物が出てくる。
奴隷が20年後には植民者となったわけだ。同じ頃、私にとって東北の先輩である元会津藩士は、まだ日本という単位と別の「国」意識を持っていたのに......。
このように、日本本土の人間が「日本人」意識を固めるよりも前から、日本は領土を拡張してきた。その過程で各地域は「日本人化」に違う反応を示してきた。
戊辰戦争でいち早く併合された東北では、他の本土諸地域と同じ行政制度下で、日本のナショナリズムとの極端な一体化が起きた。「かっこ悪さ」にまつわる劣等感の裏返しである。
西南戦争を題材にした軍歌「抜刀隊」は、「我は官軍、我が敵は天地容れざる朝敵ぞ~♪」と高らかに歌う。「我」は元賊軍藩士ら。「朝敵」は、あの薩摩だ。
東海散士もこの戦争に参加した。後年は国権論者として事実上、日本の侵略を肯定してゆく。ちなみに、昭和に活躍した東条英機、石原完爾、大川周明といった軍国主義者、右派の多くは出身やルーツが東北だったことも強調しておきたい。
沖縄の場合、東北と違い近世まで自前の王国はあったが、清と薩摩藩に両属してきた。1879年の沖縄県設置などで日本へ併合・同化されつつも、地域的自立を求めた。清の辺境だった台湾は、植民地下で台湾人意識に目覚め、日本に自治を要求した。
1910年に併合された朝鮮(韓国)の場合、古代から王朝があったうえ、併合時には知識人らに近代的なナショナリズムも生まれていた。故に、三・一運動(1919年)のような独立運動が展開される。
つまり、近世以前の日本の「中央」との歴史的文化的な距離、併合の時期、併合までに独自の近代ナショナリズムを育めていたかどうかなどが、各地域の人々の運命と自意識を変えた。
日本の領土拡張は、西洋に対抗する軍事的要請に基づくものでもあった。その日本の家父長的で半端な「近代」に抗するため、沖縄、台湾、朝鮮の知識人らはオリジナルの西洋、本物の近代的価値をより深く学ぼうとしたという。
vol.101
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