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2020年のアメリカ国勢調査では、日系アメリカ人はアメリカに現在およそ150万人暮らしている。日本人のアメリカへの移民は明治元年(1868年)のハワイ移民から始まり、アメリカ本土に広がっていった。
当時の日本の家父長・長子制度で生活の資を持たない次男、三男といった男性や、明治の新しい時代の中で、アメリカでの学問やビジネスチャンスを求める男性がアメリカに渡っていった。
こうした人々は、アメリカで一旗揚げた後、帰国することを願う人が多かったが、アメリカでの生活は多くの人々にとって楽なものではなく、その日暮らしをするだけで精一杯であり、帰国は困難であった。
こうした男性はアメリカに根を下ろすことになるが、問題が結婚相手であった。当時のアメリカでは多くの州で異人種間結婚禁止法が施行されており、日本人男性の結婚相手を他人種に求めることは難しかった。
そこで、結婚を希望する男性の中には、故郷の親族や仲人に結婚相手を紹介してもらうよう依頼する者もいた。海を越えてのこの見合いは、当事者の写真と手紙の交換を通じて行われたため、結婚に応じた日本人女性たちは写真花嫁と呼ばれた。
日本人花婿と写真花嫁たちの多くは、やがて子を作った。国籍に関して出生地主義を採るアメリカでは、日本人移民の子どもたちはアメリカ人として生まれ、つまり日系アメリカ人となっていった。
日本人移民とその子どもたちのアメリカでの生活は1941年12月7日に大日本帝国軍がハワイの真珠湾を攻撃した時に一変した。
フランクリン・ルーズベルト大統領は大統領令9066号を発令し、当時アメリカ西海岸に住んでいた約12万人の日系アメリカ人たちを、アメリカに危害を加えうる敵性外国人とし、強制収容を命じ、彼/女たちの生活基盤を一夜にして奪った。
日系アメリカ人強制収容は、当事者たちにとって、日本人であるがゆえに受けた理不尽な人種差別であったことから、強制収容以降、日系アメリカ人たちの中には、日本人ルーツを持つことを恥じ、忠誠なアメリカ人であろうとした人もいた。
彼/女たちはアメリカの主流社会に同化していき、結婚相手も日本人以外とする者も現れた。こうして日系アメリカ人の多人種化が始まった。
日系アメリカ人の多人種化の他の要因としては、1924年以降、日本人移民が禁止されたこともある。明治元年以来続いていたアメリカへの日本人移民は、白人社会から煙たがられるようになる。
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