こうした状況を変えるべく、「新料理」のレシピ本にはしばしば、料理が芸術の名に値する理由をとく哲学的論考が付けられた。そのなかにはイタリア・ルネサンスの栄光を引き合いに出すものもあり、「絵画や音楽と同様、料理も輝かしい芸術の一分野としてイタリアから受け継がれたのだ」と主張した。
『百科全書』の料理批判は、こうした料理書の主張を逆手に取ったものだった。芸術のルネサンスというイタリアの威光を裏返して、フィレンツェ出身の「毒婦」カトリーヌという人物にその起源を帰す。そうすることで「新料理」のネガティヴ・キャンペーンを行ったのである。
『百科全書』には次のようにある。「腕ききの料理人たちが重用されるようになったのは、アンリ2世時代のことにすぎない。それは、カトリーヌ・ド・メディシスに従い宮廷にやってきた快楽趣味のイタリア人たちがわれわれにもたらしたものの一つだ。それ以来、事態は悪化する一方だ」(項目「調味」より)。
ちなみに料理以外の文脈でなら、カトリーヌとその取り巻きのイタリア人が様々な贅沢品と快楽主義でフランス宮廷を堕落させた、という俗説はすでに前世紀から存在していた。ディドロが彼女の名を出して美食趣味の流行を批判したのも、こうしたカトリーヌのイメージがすでにあったからだろう。
贅を尽くした食道楽に警鐘を鳴らす文脈のなかで、カトリーヌは初めて美食の伝道者と称されたのだった。
「カトリーヌ伝説」誕生の成り行きは、18世紀フランスの人々の〈美食〉に対するアンビヴァレントな態度を映し出しているように思われる。
洗練された料理に囲まれた食事の機会は、上流社会の人々の社交には欠かせないものとなっていた。しかし食の楽しみとは、言ってみれば肉体的な快楽の一つである。キリスト教的な禁欲主義が根強く残る当時の社会では、食の快楽を手放しで礼賛することはタブー視されてもいた。
おいしい料理は、あくまでも社交という知的で高尚な営みを盛り上げるための手段に過ぎないとされ、料理そのものを芸術としてもてはやすことはしにくかったのである。
この状況は、フランス革命を経た19世紀になると変化していく。高級料理は貴族の邸宅からレストランへ舞台を移し、ガイドブックや美食批評が出版されるようになる。フランス美食文学の誕生である。
食をメインテーマとする文学ジャンルが生まれたことで、〈美食〉について大っぴらに語ることのハードルが下がった。これらの本は実用的な情報だけでなく料理や食をめぐる様々な逸話にあふれ、食卓で披露する会話のネタを読者に提供した。
vol.101
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