カトリーヌがフランス料理を刷新したという説が生まれたのは、実は彼女の輿入れから200年以上も経った1750年代のこと。啓蒙思想の金字塔の書、ディドロとダランベールが編纂した『百科全書』のなかでのことだった。
ディドロをはじめとする哲学者たちは、当時の料理技術が過度に洗練されつつあるという危機感を示した。美味を極めた料理は、自然な食欲が必要とする量を超えて食べることにつながり、心身の健康を損なうと言うのである。
こうした彼らの主張を補強するために引き合いに出されたのが、カトリーヌ・ド・メディシスだった。虐殺の首謀者として悪名高いイタリア出身の母后。彼女の美食趣味の影響で、フランスの食卓は堕落の道を歩み始めたのだ、というのが、『百科全書』の執筆者たちが描いたストーリーであった。
しかし、なぜ彼らはこのような根も葉もない筋書きを作り上げたのだろうか。背景には、1730年代からパリで次々と出版された料理書の存在がある。
これらの料理書は「新料理(ヌーヴェル・キュイジーヌ)」を掲げ、料理は芸術であり、優れた料理人は芸術家と呼ばれる資格があると謳った。
フランス料理の技術は、特にルイ14世とルイ15世の時代に多様化・体系化が進み、上流階級の人々は洗練された美食を楽しむようになっていたが、料理はまだ肉体労働の一つとみなされていた。三つ星レストランのシェフがスターとしてもてはやされる現代とは違い、料理人は使用人に過ぎなかったのである。
vol.101
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