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山崎正和と聞いたとき、どのようなイメージを描くだろうか。
「山崎正和さんは劇作、演劇プロデュース、哲学、文明批評、政策提言と幅広い領域で活躍する多面体の人であった」と長年取材した日経新聞の内田洋一氏が追悼記事で書いているように、一言では説明できないぐらい数多くの分野で功績を残されている。
私にとっての「山崎正和」は、やはり学生時代に教えを受けた「先生」にほかならない。大学卒業後、サントリー文化財団の事務局として働くなかで30年以上にわたって、山崎先生のお世話になったが、良くも悪くも学生だった頃の視点で先生に接していたように思う。
山崎先生のゼミは、大阪大学文学部美学科の音楽・演劇学専攻の中にあった。高校時代から山崎正和に学ぼうと大学を選んだり、自身も演劇にかかわっていて演劇を学びたいという学生もいたが、教科書や入試問題で知った山崎正和という人に関心を持ち、なんとなくこのゼミに来たという学生もそこそこいた。
私自身も、その「なんとなく」の学生だった。高校時代に歴史や文学が好きで文学部に進学したが、2年の時に山崎先生の演劇学の講義を聞いて、興味をひかれた。
「演劇学」というと、演劇を上演するように思われることもあるが、基本的に「演劇」とはなにかという理論や、戯曲の分析、批評などの座学が中心だった。
一方で、観劇実習といって、古典演劇から現代の小劇場、ミュージカルまで幅広いジャンルの作品を実際に観に行く機会もしばしばあった。劇を観ることはもちろん、劇場にみんなで行き、観劇後に感想を語り合うのはとても有意義な経験だった。
山崎先生の講義では、「見る」「見られる」の関係がすべての基本にあった。芝居を観る観客がいて初めて役者は役者となり、観客も実は役者によって見られていて、その緊張関係が舞台をつくる。
この「演技する精神」は演劇に限らず、山崎先生がさまざまな分野で活躍される中でも、原点にあったものではないかと思う。
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