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連載企画

文系研究者は「利益相反」を明らかにしていない? 実験科学者からの問い

2023年07月12日(水)10時38分
村田 純(公益財団法人サントリー生命科学財団 主席研究員)

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国際日本文化研究センター図書館の書架 撮影:宮野公樹


研究対象との距離感

ところで、井上所長の上記コメントには、もうひとつ大事なメッセージがあるように思う。研究対象を客観視する姿勢がいかに重要かということだ。

研究対象との心情的な距離(好き、嫌い、どちらの場合でも)が近すぎると、冷静に研究できない。実験科学者の私にとって、研究対象との精神的距離は比較的担保されている。

研究対象のことは「好き」ではあっても、その対象と観察者たる自分は一体ではない。しかし、文系研究者にとっては、その距離感は難しいのではないか。

その距離感でいうと、日本を代表する哲学者の西田幾多郎、文芸作家の井原西鶴に関する研究は、それぞれ哲学と文学よりも日本学の枠組みで盛んに研究されているという。

このように研究対象への距離感を改めて考えると、やはりゴウランガは方丈記の研究に、まさに適任と言えないだろうか。

インドから中世日本を見た場合、客観的な視点を維持できる。仮に自分の立てていた仮説とは異なる、残念な結果が導き出されようとも、それはそれで面白い、興味深いと、冷静に研究を続けられるだろう。逆にゴウランガにとって、インド古典を国際的な視点で研究するのは簡単ではないのでは、と思う。

COIを表明することは、まさに研究対象との距離感を表明することだ。しかし、所属を明らかにするだけでCOIをほぼ表明したことになる企業の理系研究者とは違って、文系研究者がその距離感を一言で言い表すことは難しいのかも知れない。

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