日本文学の翻訳によって本来の著者の意図や解釈から何が取捨選択されたかを比較するという、「ズレた文学」から「ブレない思想」を覗く作業を行う。語学が堪能な彼には日本語は全く障壁にならない。
AIのサポートで言語の壁など過去の遺物となった世の中が、すぐそこまで来ている。けれども、人間による翻訳で全ての個別文化から価値観のエッセンスが抽出され、それを基にAIが学習した後に初めて、AIが相互翻訳した「共通言語」で世界のあらゆる文学を語ることが可能になるのだろう。
彼が所属する、国際日本文化研究センターを訪問することになった際、実は私なりに期するところがあった。もしかしたら、多くのメディアで活躍されている井上章一所長とお会いできるのでは、と。
その予想は当たった。私たちの会合に少しだけ井上所長が参加され、同センターが目指すところを述べられた。お話の中では、「ルネサンス研究を行う研究者のうち、本場のイタリア人は1割程度である」とのコメントが特に印象的だった。
そもそも「ルネサンス」自体がフランス語らしい。しかし、そうやって世界中の人が色々な視点・観点から検証し尽くしたからこそ、ルネサンスは人類史の中でも大事な精神的成長期と認識されるようになったのだ。
更に言えば、日本文化を国際的な視点で、日本人固有の価値観を離れて研究することこそ、「国際」日本文化研究センターが目指している研究姿勢なのだと井上所長のお話を伺って思った。
翻って、自分たちの祖先の文化を外国人が外国語で「勝手に」語り尽くすという状況は、当のイタリア人にしたら嬉しいことなのかとつい考えてしまう自分には、「国際」的に日本文学を研究する資格はきっと無い。ただの一読者として、勝手に感想を述べるくらいが丁度良いのだろう。
vol.101
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