また都会にいるとわからないことが、ここでは明瞭にわかる事柄も多い。その典型は「コミュニティ」の何たるかである。
コミュニティの大切さは至るところで強調されている。しかしマンションだらけの都会の隙間では、訃報の回覧板が回ってくるぐらいしか、その働きはもう残ってはいなかった。
しかし現在の田園の中の住まいではコミュニティは否応なく発生する。それは特に春から夏にかけて私たちに襲い掛かる雑草との戦いによる。
植物の生命力は大変強いので、数日前かわいく花を咲かせたと思っていると、あれよあれよという間に大きくなり、あわてて引き抜こうとすると、もはや茎は撚った縄のように強い。そしてその下の根はすでに地下で縦横に自らを伸ばしている。
彼らを根絶することはできないので、私たちは雑草を、まるで大地から生える毛髪のように、一定の間隔で刈り込む。
というわけで私も唸りを上げるガソリン式の草刈機の購入を勧められ、これでようやく一人前となり、月に1回ぐらいの雑草対策行事に参加することになる。雑草という具体的な外敵のおかげでコミュニティの基本的な存在理由が明瞭になるのだった。
このように考えていくと、地球という大地が人間に与えてきた影響は改めて大きい。大地の条件からはじまって人々はさまざまな共同体をつくりあげる。そして、その間を調節し、生活を持続させようとするのが、人々によるさまざまな製作物=有形、かたちである。
私はこの関係を語呂がいいので「大地・かたち・共同体」とそらんじるようにしている。
さしずめ人が住む家は、大地と共同体の間にあるかたちの代表格だろう。家は大地の条件に基づきつつ、さらに人間の居場所を快適なものにするために大地と縁を切る。
この場所に移り住むときに、新しい家は突然の出水にも対応する高床式の家にしようと決めていた。
なぜ日本の伝統にならなかったのかいまだにわからないのだが、東南アジアでよく見かける高床式住居は大地の条件をうけいれつつ、かつ共同体を作り上げる最良の発明物のひとつである。
vol.101
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