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生き方を刷新しようと考えて、コロナ禍中の2021年に、都心から霞ヶ浦のほとりに住まいを移した。家の前には田園が広がり、背後の丘には関東第二の大きさを誇る古墳がある。
その間の旧集落に土地を買って家を建て移り住んだのだ。2時間かけて都内の職場に通っているが、電車の座席に必ず座れるのでその大半を、車窓を眺めてぼおっとしている。住んでみていくつか気づいたことをまず紹介してみたい。
そこは狭隘な都会とは空間の質がまるで違うのだった。電車の走る音が1km先の川にかかる鉄橋を通じてこだまとして聞こえてくるし、豪雨では雨が群れとなって右から左へと動いていく様子がわかる。
先日、大雨がこの一帯を襲った。屋根を激しく叩く音に起こされて、窓から前の道路を覗くと、一面が浅い川になって動いていった。翌朝雨が止みふたたび外を覗くと、水が引いた道路の一段下に広がる田地の全面が水没していた。
自分が湖に浮かぶ島に住んでいる心持ちになった。近所の人々が次第に出てきて久しぶりだと話している。水を河川にポンプで排出して段々と田んぼが元の姿に戻っていく。
水際まで散歩をした。水平は絶対であった。水は低い大地とそこにあるものを何であろうが容赦なく沈めていた。そして付近の旧集落は必ず、かすかにそして正確に、その水面より上に位置していた。
過去の大水の際に土砂が溜まり生まれたかすかに高い土地。あるいは田地からやや高い湧水の出る丘の麓。そこに旧集落ができたのだ。人間の住む場所はそんな合理的な物理の痕によってその場所が定まっている。
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