帝国ホテルライト館 出典:Wikimedia Commons
建築への関心が、近年、高まってきているように見受けられる。ちゃんとした美術館が充実した建築展を開くようになったし、一般の雑誌や新聞にも建築探訪の記事がしばしば載る。
戦後、長い間、建築界は、一般の人の建築への関心の薄さに悩まされてきた、というと正確ではなく、一般の人が建築に無関心なことを気にかけずに済ませてきた。
そのことが典型的に現れたのは55年前の〈旧帝国ホテル〉の取り壊しの時で、建築界のとりわけ私より一世代前の建築史関係者は保存を訴え、アメリカの建築界からの声も届き、政界もそこそこ関心を持ってくれたらしいが、市民のバックアップは弱かったと先輩から聞いた。
しかるべきインテリから「ライトってほんとに世界的な建築家なんですか?」と聞かれて困ったとも。「モネって世界的な画家ですか?」と美術史家がしかるべきインテリから聞かれることはないだろうに。
旧帝国ホテル保存で一頓挫した後、やや間をおいて私たち世代の建築史家が歴史的建築の保存に取り組み始めた40年ほど前、市民の関心は変わらず薄いばかりか、建築界でも、壊してより大きいのを建てるのが主流だった。
こうした大勢に変化が生じたのは赤煉瓦の東京駅の取り壊しが検討され始めた時で、時の革新派の美濃部都知事が外国人記者クラブで発表すると、アメリカ人記者がニューヨークのセントラルステーション取り壊しの反省から、再検討を求め、美濃部都知事は明治村に移せばいいと答え、そこから建築界へ、さらに市民へと反対運動は広がり、最後は女性たちが運動の主体となり、なんとか保存を実現することができた。
このあたりから普通の人の建築への関心は表に現れ始め、今に至っている。では、どうしてこうした変化が起こったのか。勿論、直接の原因は壊しすぎにある。
建築は、人と社会の記憶の器という性格を持つ。建築を作る時、設計者に記憶の器への考えはなく、時代や自分の主張を込めようとするのだが、出来た後、それを見る側使う側は、当初はその主張に耳を傾けても、時の変化の中で主張が鮮度を失うに従い、その建物を見たり使ったりする自分の体験が記憶として定着してゆく。建築の主体が作る側から見る側、使う側へと移ってゆく。
vol.101
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