たとえば東京駅の場合、あるサラリーマンにとって、設計者の辰野金吾が東京に作りたい三大建築の1つとして取り組んだとか、日露戦争の勝利の証としてあんな大きく派手に飾られたとかの当時のあれこれは関係なく、丸の内のオフィスに初出社した朝に通った改札口の大ドームの立派さとか、取引がうまくいった日の帰りがけに見た夕焼けに映える赤煉瓦の鮮やかさとか、そうした個人的体験の証として記憶に刻まれてゆく。
東京駅のように大勢の人が使ったり訪れて写真を撮るような公的な建物は、かくして社会的記憶の器となり、一方、住宅の場合は個人的記憶の器となる。
なぜ建築や住宅が記憶の器となり得るかは、大きくかつ場所も変わらないからだ。不動の産。同じ視覚的表現でも絵や彫刻は、持ち主が公開しなければあるかどうかも分からないし、見て強い印象を受けたとしても、どっかに移されたら、ある時のある場所の記憶としては消える。
それに対し建築は、作ったら隠すわけにはいかないから見たくなくても向こうから目に入ってくるし、移せないから後になってそれを見ると、あの時のあの場所の記憶がよみがえる。建築は大げさにいうなら、その時の視覚だけでなく触覚、嗅覚、聴覚といった人体の備える全感覚を通して全体的記憶を容れることができる。
建築が記憶の大きな器となり得るのは、図体が大きくて場所も変わらないから、とすると、建築よりもっと大きい都市はもっとそうだし、さらに自然の野や山や川は、もっともっとそうで、日本列島で一番大きな記憶の器は富士山だろう。海に囲まれた日本列島の姿を浪間の富士山を通して描いた北斎は偉かった。
記憶の器はなぜ人間にとって大事なのか。社会や個人にとって記憶が大事なことは誰でも認めてくれるだろう。記憶がなくなれば、たとえば昨日までのことを何も覚えていなければ、昨日まではなかったも同然。幼いころからの記憶があるから、今までずっと生きてきたという時間的アイデンティティを確信することができる。
建築が、住宅が、人間の時間的アイデンティティに大きな役割を果たしているということを、教えてくれたのは、晩年の建築学者の吉武泰水だった。
吉武は毎日見た夢を記録し続け、ある時、気付く。新しい場所に移り住むと、その晩に見る夢には定石があり、新しい家から出て、集合住宅の場合、廊下を通りエレベーターに乗り、ドアが開いて外に出ると、そこには子どもの時に住んだ家の玄関の三和土(たたき)の上だった。帰巣本能が多くの動物には備わっているというが、吉武の記憶の帰巣本能は強かった。
建築によって人間の時間的アイデンティティが保証される、とすると、建築をとらえる人間の視覚を中心とする感覚群にそれほどの存在論的力が果たしてあるのか、と訝しく思われるかもしれない。
確かに、人のアイデンティティに関わることは、思想や宗教や哲学、文学といった文字による表現分野が、とりわけ敗戦後の日本では文学が人の存在の根本問題にもっぱら関わってきた。
ではあるが、ずっと日本人は戦後的だったわけでなく、たとえば平安時代までさかのぼると「観想念仏」と「称名念仏」の別が知られていた。
阿弥陀様のまします極楽浄土に往生するには、イメージ(観想念仏)によるか言葉(称名念仏)によるかという問題で、どちらでも可能なのだが、多くの人は、とりわけ言葉(理論)に長けていないふつうの人は、貴族も庶民も観想念仏に取り付かれ、貴族は極楽浄土を思わせる庭園と寺をしきりに造営し(宇治の平等院)、庶民は歌と踊りの中に浄土をイメージしてわがものとしている(念仏踊り)。
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