アステイオン

国際政治学

ロシア正教会に急接近したプーチン──戦争勃発の背景にあった、キリスト教宗派の対立

2023年03月08日(水)08時08分
松本佐保(日本大学国際関係学部教授)
プーチン大統領,モスクワ総主教

2013年5月、ロシア正教復活祭礼拝でロシア正教会総主教のキリルとキスを交わすプーチン大統領(モスクワ・救世主ハリストス大聖堂)Maxim Shemetov-REUTERS


<冷戦後、ロシア正教会が政治と一体化していった。他方、ウクライナでもナショナリズム傾向の強い教会とモスクワ寄り教会との間で分裂が生じていた。『アステイオン』97号「ウクライナ戦争が映し出す宗教と政治」より>


政教分離が当然の原則とされている今日の日本だが、伝統的に宗教と政治の関係は複雑で、和解とともに対立の要因ともなる。ロシアの対ウクライナ侵攻について、その背景にあるキリスト教の宗派間の入り組んだ関係を見てみよう。

東欧や南欧で支配的な宗教組織であるキリスト教会は、カトリック教会を率いるローマ教皇と、東ローマ(ビザンツ)帝国の首都コンスタンティノープルの総主教が、相互に破門した11世紀の東西教会の分裂に起源を求められる。しかし、ロシア・ウクライナ正教会の起源は、ビザンツ帝国からキリスト教を導入したルーシが九世紀に創設した、キエフ総主教だった。

このキエフ・ルーシ大公国が13世紀にタタール人の侵攻を受けると、その中心はモスクワに移され、モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会として、ロシア正教会の管轄下に置かれる。

また正教会の総本山のコンスタンティノープルが、15世紀にオスマン帝国の手に落ちると、最古の歴史と伝統を踏まえたキリスト教の正教会の中心はモスクワとなる。モスクワはここで「第三のローマ」と呼ばれるようになり、ロシア人はこれを自負するようになった。

冷戦終結後もモスクワは「第三のローマ」として、特にプーチン出現後は、冷戦後不安定化するロシア治世の安定化を図るために、ロシア正教会が人々の精神的な拠り所として政治と一体的に活動する傾向が高まる。他方でウクライナでは、91年に独立すると、典礼をウクライナ語で行うなどウクライナ・ナショナリズムの傾向の強い教会と、モスクワ総主教寄りの立場を取る教会との間で分裂が生じた。

2014年のロシアによるクリミア半島の一方的併合が起こると、その傾向が一挙に加速した。

ロシア正教会総主教のキリルは、傘下のウクライナの司教に命令し、プーチンを解放者と位置づける説教をさせるとともに、東部の戦闘で戦死したウクライナ兵のための祈祷や埋葬を拒否させ、ウクライナの聖職者の怒りが鬱積した。

そのため、当時のポロシェンコ大統領が直々にコンスタンティノープル総主教に働きかけて承認を得た結果、多数の信者を抱えるキエフ総主教庁も、モスクワ正教会からの独立を果たした。

他方、キリルやプーチンにとって、ロシア正教会に従属していたウクライナ正教会の多数派が分離独立することは、ロシア正教会、さらにはロシア世界の解体に繋がりかねないと見なし、それを阻止しようとしたことが今回の戦争の背景と考えられる。

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