本来なら共産主義は宗教を否定するはずである。しかし、現実にはソ連時代も宗教活動はある程度許容されたし、必要な場合には利用すらされたこともあった。戦場では死と隣り合わせになる兵士にとっては、宗教の役割は大きい。そのため例えば第二次世界大戦の転回点となったスターリングラードでの激戦では、スターリンはロシア正教会の典礼を一部復活させた。
冷戦後のプーチン政権になると、宗教と政治の関係は緊密さの度合いを増した。現在の対ウクライナ戦争でも、キリルは、兵士だけではなく戦車などの兵器にも祝福を与える儀礼を実行している。もともとプーチン政権が長期化し、反発が強まった2012年に、ロシアで反プーチンデモが起きたことに起因する。
こういった不満を懐柔するために、ロシア教会に急接近したという経緯がある。キリルは大統領選挙で自らプーチンの応援演説を行い、プーチン側はロシア正教会の主張に沿って同性愛宣伝禁止法を成立させるなど、相身互いの関係にある。
キリルがKGBの工作員であったことは、陰謀論ではなく「ミトロヒン文書」によって立証されている。KGBの幹部要員だったミトロヒン(Vasili Nikitich Mitrokhin)は、1992年に大量の旧KGBの極秘文書をもって英国に亡命。
この文書は、現代史の専門家で英国の情報部(MI5)の公式歴史家クリストファー・アンドリューらによって分析され、その一部はミトロヒン文書(Mitrokhlin Archives)として発表された。(註Christopher Andrew and Vasili Mitrokhin, The Mitrokhin Archive: The KGB in Europe and the West, Penguin, 28 Jun. 2018)
この文書には、キリルが行っていたスパイ行為が赤裸々に綴られており、西側諸国に衝撃を与えた。これによるとキリルは1979年にロシア正教会の外交を担う機関から、スイスのジュネーブに派遣され、世界教会協議会(World Council of Churches、プロテスタント教会と正教会が集まった国際機関で、バチカンと1965年以降定期的に交流)で、ロシア正教会の代表としてジュネーブでスパイ活動に関与した。
彼はカリーニングラード府主教などを経て、2009年にモスクワ総主教に就任し、2010年にソ連期に共産党政権がロシア正教会から没収した土地や財産を返却したので、これら富を独占出来る立場にいた。彼以外にも元KGBの活動に関与し、ロシア正教会との密接な関係で巨万の富を築き、プーチンと近い「ロシア正教会オリガルヒ」が存在する。
キリルはKGB工作員として、反共産主義の立場のカトリックやプロテスタント等西側のキリスト教会に対し、「マルクス主義的な汚染」を任務とし、ラテンアメリカでは解放の神学(カトリック+マルクス主義)や、欧州ではキリスト教社会主義の「浸透」に貢献し当局に評価された。
ミトロヒン機密文書と英公文書所蔵の諜報関連史料からも、ロシア正教会がソ連共産党体制の下部に組み込まれ、キリルのような聖職者が教会のヒエラルキー制度を活用し体制内の階段を上り、それがソ連崩壊後に引き継がれたことがわかる。
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