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国際政治

実は日本も関わっている、ロシアの「勢力圏」中央アジアの「法と制度」

2023年02月01日(水)08時05分
桑原尚子(岩手県立大学准教授)

法令が定める「許可」や「取消し」の審査基準はブラックボックスであることが多く、行政庁には巨大な裁量が認められていた。行政庁は、免許の取消しのような国民にとって不利益な処分を下す場合において、国民へその理由を開示することもほとんどなかった。

さらに、ウズベキスタンにおける行政法は、日本や欧米諸国のように行政による侵害からの国民の権利保護を目的とするものではなく、端的に言えば、行政上の義務違反によって公共の秩序を乱した者の責任を追求し処罰するための法と理解されていた。

ソビエト法においては行政と国民の利益が対立しうるという発想に乏しい上に、行政に対する司法審査を十分に制度化していなかった。したがって、行政行為を不当とする者が取りうる法的な救済手段の第一は、裁判へ訴えるのではなく、ソビエト法の遺制である行政機関への訴願であり行政の自己規律に依っていたのだ。

このような行政法理解や救済の仕組みには、ソ連時代の社会主義的な国家権力観が色濃く残っている。すなわち、ソ連では、国家権力は一体不可分のものとして把握され、国家権力が憲法に拘束されるという発想は希薄であった。

そして国家権力と国民は、政府と共産党こそが国民にとって公益が何たるかを熟知しているというパターナリスティックな関係にあった。

論考「二つの神話の崩壊とエネルギー地政学の復活」を寄せた竹森氏は、このような強権主義の原因について、ロシア政治史専門家のリチャード・パイプス氏等に依拠しながら、中世西欧に成立したような封建制度が歴史を通じてロシアに確立しなかったことに求める。

ソ連解体後に導入された「国家権力が憲法に拘束される」という立憲主義は、「行政行為」と同じく、ロシアや中央アジア諸国にとって外来の馴染みのない法原則であった。比較法の研究対象である法移植論では、馴染みのない法の移植は当該社会に根付く難易度が高いとされている。

依然として残ったソビエト法的思考回路

上述の日本の国際協力による行政行為の透明化・適正化を図る法整備支援プロジェクトが開始された2005年には、ソ連解体から14年経過し、憲法には権力分立が定められ、市場経済に適合的な民商事法が制定されていた。

しかし、ソビエト法的な国家権力観は行政法だけでなく人々の法的思考に依然として残っていた。その大きな原因は、法学教育では法律の暗記が中心であり、体制転換後の法制度運用に必要な法的思考を教授できる学識者が圧倒的に不足していたことにある。

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