著者によれば、憲法はもちろん法律が縛っているのも政府であって、市民ではない。政治の中心には政策の策定があるが、「デモクラティズム」の要諦は政府を有効に縛る政策の体系を追求することにある。その際、何があればレファレンダム(国民投票、住民投票)や選挙が「まとも」と言えるか、その条件を明確に示しているのが本書の最大の特徴である。
著者に言わせれば、言論や集会、報道などの自由があってこそ、投票者の判断が可能になる。その意味で、「まとも」なレファレンダムと選挙を阻害する動きをしっかり監視することが、「デモクラティスト」の役割となる。逆にいえば、現在報道の自由やレファレンダムや選挙の「まとも」さが自明ではなくなっていることが、本書の最大の問題意識であろう。
デイヴィッド・ランシマン
『民主主義の壊れ方』
(若林茂樹訳、白水社、2020年)
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
本稿で取り上げたもの以外にも、例えばデイヴィッド・ランシマン『民主主義の壊れ方』(原題はHow Democracy Ends、若林茂樹訳、白水社)も話題を呼んだが、民主主義の「死に方」「終わり方」などショッキングな言葉が使われる一方、民主主義の意味や捉え方を正面切って再検討する著作が多いことも近年の「民主主義本」の特徴である。
かつて1989年にフランシス・フクヤマが「歴史の終わり?」論文で自由民主主義の最終的勝利を唱えたことを思えば、30年が過ぎた現在、民主主義の終わりと意義の再確認が強調されていることに皮肉を感じざるを得ない。
しかしながら、民主主義(デモクラシー)という言葉がむしろ肯定的な意味で使用されるようになってからまだ2世紀余りである。2500年を超えるその歴史の大半において、この言葉は批判的な含意を込められて用いられてきた。
それを思えば、この200年ほどの「民主主義の時代」が人類史の例外であったと見なすべきか、あるいはこの間に何度もあった民主主義の反動期の一つであり、時間はかかるにせよ、民主主義がその危機を乗り越えていくのか、まだ結論を出すのは早すぎるだろう。
宇野重規(Shigeki Uno)
1967年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。千葉大学法経学部助教授などを経て現職。専門はフランス政治思想史、政治学史。著書に『政治哲学へ』(東京大学出版会)、『トクヴィル─平等と不平等の理論家』(講談社学術文庫、サントリー学芸賞)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、『民主主義を信じる』(青土社)など多数。
『アステイオン95』
特集「アカデミック・ジャーナリズム」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
vol.101
毎年春・秋発行絶賛発売中
絶賛発売中