古代ギリシアにおける民主主義の誕生から近代ヨーロッパ、そして現代へと続く、極めてオーソドックスな内容であるが、しばしば直接・間接で区分される古代の参加民主主義と近代の代議制民主主義とが根本的に異質であることを強調するなど、問題提起的な部分を含んでいる。
何よりポピュリズム、権威主義指導者の増加、AI専制論、新型コロナウィルス危機など、現代において民主主義の危機として指摘される内容の多くが、民主主義2500年の歴史において繰り返し指摘された議論と同型であることを明らかにしている点がポイントであろう。
山本 圭
『現代民主主義──指導者論から熟議、ポピュリズムまで』
(中公新書、2021年)
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山本圭『現代民主主義──指導者論から熟議、ポピュリズムまで』(中公新書)は『民主主義とは何か』の最後の部分である20世紀以降の民主主義論を詳細に分析したものである。20世紀はしばしば「民主主義の世紀」と呼ばれるが、米国が2つの世界大戦参戦にあたって民主主義の大義を掲げたことから、民主主義の正統性がかつてないほど高まったのが20世紀であった。
とはいえ、このことは民主主義をめぐる議論がこの世紀を通じて安定していたことを意味しない。特に世紀前半から中盤にかけてはむしろ民主主義にとっての危機の時代であった。ワイマール共和国が動揺するなか、カール・シュミットは民主主義を自由主義と峻別し、民主主義にとっては何よりも人民の一体性と同質性こそが重要であり、そのためには異質なものを排除すべきであるという極論を展開した。
その一方で、民主主義とは目的や理想ではなく手段に過ぎず、重要なのは政党や政治家が選挙を通じて競争することにあるというヨーゼフ・シュンペーターのエリート民主主義論もあった。民主主義をめぐる議論が大きく分極化し、特に新たに選挙権を得た大衆に対し懐疑的な議論が目立ったのが、20世紀中葉までの民主主義論の特徴であろう。
これに対し20世紀後半になると、むしろ人々の政治参加を強調する参加民主主義の復権が見られた。さらには市民が互いに議論を交わす熟議民主主義、あるいは多様な意見やアイデンティティの相剋と承認を重視する闘技民主主義などが発展していく。
本書の真骨頂はこのような現代民主主義論の幅を示す点にあり、その射程はフランス現代思想における民主主義論や、認識的デモクラシーやケア倫理など現代的な最先端の議論にまで及んでいる。一口に民主主義といっても、かなり幅広く、その全貌をつかむことは容易でない。本書はそのための格好の見取り図を提供してくれるだろう。
空井 護
『デモクラシーの整理法』
(岩波新書、2020年)
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これに対し、空井護『デモクラシーの整理法』(岩波新書)はタイトルこそ「整理法」であるが、むしろ既存の議論の仕方に対する鋭い異議申し立てとなっている。例えば民主主義とデモクラシーは同じではない。古代ギリシア語の「民衆の支配」を意味するデモクラシーは、イズム(主義)ではないのであり、著者はむしろ民主体制の実現を求める主義をあえて「デモクラティズム」と呼ぶ。
vol.101
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