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論壇誌『アステイオン』95号は「アカデミック・ジャーナリズム」特集。
2021年12月上旬、特集責任編集者の武田徹・専修大学教授が、『昭和二十年夏、僕は兵士だった』『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』などで知られるノンフィクション作家の梯久美子氏と、『核エネルギー言説の戦後史1945~1960』『核と日本人――ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』などの著作を持つ神戸市外国語大学准教授の山本昭宏氏を招いて座談会を行った。
アカデミズムとジャーナリズムの方法論の違いとは何か。編集者の役割はどう変わってきたか。「アカデミック・ジャーナリズム」とはそもそも何か。
■武田 梯さんはノンフィクション作家、山本さんは大学に所属する研究者ですが、お二人ともアカデミズムとジャーナリズムの境界を越えるタイプの書き手だと思います。両方を知るお二人だからこそはじめにお尋ねしたいですが、アカデミズムとジャーナリズムに方法論の違いはあるでしょうか?
■山本 アウトプットの方法は異なりますが、想定する読者に向けて書くという点で根幹は同じです。論文なら専門家の読者を、新聞や雑誌や書籍では非専門家の読者を想定して書くわけです。ただ、ここは明らかに違うかなと感じるのは、ジャーナリズムの場合は、記者や編集者の積極的な介入があるということですね。
アカデミズムでは論文をブラッシュアップするために同じギルド内からのフィードバックがありますが、「書き方」にまで口出しすることは稀です。他方で、ジャーナリズムでは構成から文体に至るまで、「それでは伝わりませんよ」と編集者からの声があがります。それは私自身、一般書を書くなかで気づき、学ばせてもらった点です。
■武田 つまり、アカデミズムの世界で通用するものが、そのままジャーナリズムでは通用しにくいということでしょうか?
■山本 学術誌に掲載される論文が、そのまま商品として書店に並ぶのは難しいでしょう。ただし、現代社会で多くの読者を獲得している専門家が、10年後に論文を審査する側に回ると、少しは変わって来るかもしれません。新たな学術誌を作る試みなども盛んになるでしょう。そうなると、アカデミズムとジャーナリズムにまたがって、読者を獲得していく書き手が今よりも増えるかな......というのが私の希望的観測ですね。
■梯 両方の世界で通用する書き手は増えていますよね。『アステイオン』95号には小川さやかさんと伊藤亜紗さんが参加されていますが、二人とも今、私が面白いと思うアカデミーの書き手です。研究者が自分の専門分野のテーマを客観的な視点で書くというアカデミー流儀のイメージではなく、今ここに生きる自分の言葉で書くという作家性があり、ノンフィクションの世界から見ても素晴らしいと思っています。
また、先ほど編集者の介入というお話がありましたが、ノンフィクションの書き手は普段から編集者との共同作業を行っています。ですから、山本さんの「アカデミック・ジャーナリズムの『高度成長』――粕谷一希の『中公サロン』編集術」は大変興味深く読みました。
粕谷一希さんが主催されたサロンには、ゲストスピーカーとして呼ばれたことがあって、雰囲気も少しわかるのですが、粕谷さんの時代と今では、編集者と書き手を取り巻く環境がかなり違うと思いました。
vol.101
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