ボルチモアの人々が2010年代の後半に起きたことを冷静に振り返ることができるようになり、この空いた台座の処遇を決めるまでには、思いのほか長い時間がかかるかもしれない。地元紙『ボルチモア・サン』の報道によれば、現在もトーニー裁判官の銅像は市政府所有の倉庫(ただし場所は非公開)に一時保管されているとのことである。市内のいずれかのミュージアムに、但し書きをつけて展示をする可能性は検討されているが、引き取ることを積極的に名乗り出る機関はまだ見つかっていないようである。他方で、銅像を鋳直して、公民権活動家の像に作り変え、元の台座に据えるべきだという声も存在するようだ。こんにちのボルチモア市の住人の3人に2人が黒人であること、またいまだに居住地域の住み分けと貧富の格差が人種の分断線の上に引かれていることを考慮すれば、この流れも自然なことのようにも思える。
鋳直された新たな銅像にも、「ドレッド・スコット対サンフォード判決」とトーニー裁判官、そしてその像を建立した19世紀末の事情について、説明は添えられるだろう。少なくとも、ボルチモアにある大学の研究者はそうするように助言するだろう。またトーニー裁判官が左手で支えていたアメリカ合衆国憲法が連綿と続いていることは、必ず何らかの形で語り継がれ、ボルチモアに暮らす人々の間で議論されていくであろう。そのように、私は信じている。
(アメリカ南部州の各地に点在する類似の銅像の建立の経緯については、『アステイオン』93号掲載の清水さゆり「「アメリカの世紀」と人種問題の蹉跌」に詳しく説明されているので、そちらをご一読いただきたい。)
平松 彩子(ひらまつ あやこ)
南山大学外国語学部英米学科講師
『アステイオン93』
サントリー文化財団・アステイオン編集委員会 編
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