アステイオン

アメリカ

アメリカ政治における二つの空白

2021年01月20日(水)
平松彩子(南山大学外国語学部英米学科講師)

しかし肝心の経済争点に関してはどうだろうか。共和党が選挙を介して多数派の支持を得るために、個別具体的な政策や財政再建のための構想、あるいは有権者動員のための組織化を進められているかといえば、大きな疑問符が付くだろう。トランプ支持者の吹聴する陰謀論が、これらのことをなし得るとはとても思えない。またコロナ禍を発端とする経済不況に共和党が有効なヴィジョンを提示できているかといえば、現状では首を傾げざるを得ない。リラの言う通り、今後4年間の共和党の再生は、アメリカの民主政にとって大きな岐路となるかもしれない。

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リラが共和党の空洞の危険性を指摘したとすれば、大屋はリベラル派内部に見られる対立が、攻撃的な批判により表現の自由を萎縮させる状況を招いていることについて論じる。『ハーパーズ』誌掲載の「正義と開かれた議論についての公開書簡」は、「キャンセルカルチャー」と呼ばれる傾向を批判し「左右を問わない非リベラルな傾向に対抗して情報と意見の自由な交換というリベラルな社会の原理(強調点原文ママ)」を取り戻すことを主張した。この書簡の署名欄に並ぶのは著名な人々の名前であることから、この書簡が言論の自由を独占しようとする権力性をすでに孕んでいることを大屋は認める。しかしそのこと以上に、大屋が強い警鐘を鳴らすのは、「キャンセルカルチャー」を推し進めるリベラル派内部の衝動的な主張に、「記憶の破壊と無知」や「無反省な自己中心主義」が横行している点である。

「キャンセルカルチャー」は、この数年間デジタルメディアを主戦場として起きた様々な批判現象の総称である。銅像の撤去はそのごく一部にすぎない。だが、特にトーニー裁判官の像に関しては、アメリカ合衆国憲法と統治機構の変遷を考える上で象徴としての意味合いが大きいので私は言及せざるを得ない。冒頭の写真の空になった座席は、記憶の破壊として理解するべきなのだろうか。それとも古い土台の上に新たな記憶と展望が引き継がれる機会としてみるべきだろうか。

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