Base, Roger B. Taney Statue, Mount Vernon Place, Baltimore, MD. Photography in Public Domain.
アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア市の中心に、マウントヴァーノンという瀟洒な文化施設の立ち並ぶ地区がある。初代大統領ジョージ・ワシントンのプランテーションと同じ名を冠するこの地区には、19世紀の鉄道王が蒐集した古今東西の美術品を展覧するミュージアムや、慈善家の設立した音楽学校と寄贈図書館があり、南北戦争の終了後から現在に至るまで、ボルチモアの文化と芸術教育の中心地として賑わってきた。マウントヴァーノンについて特筆すべき事柄は、新渡戸稲造が留学時代をここで過ごしたことを含め、多くある。しかし本稿がまず取り上げたいのは、新渡戸がこの地を去った数ヶ月後にミュージアム北側の公共広場に建てられた銅像と、その取り扱いについてのこんにちの議論である。
銅像はメリーランド州出身で連邦最高裁判所の第5代長官を務めたロジャー・B・トーニー(Roger Brooke Taney, 1777年生−1864年没)のもので、件の鉄道王が1887年に市に寄贈した。トーニー裁判官は、南北戦争直前の1857年に「ドレッド・スコット対サンフォード判決」において、たとえ自由の身となったとしても黒人の元奴隷にはアメリカ市民としての権利を認めないとする最高裁判決主文を書いたことで知られている。
法服をまとい左手を憲法に添えたこのトーニー裁判官の銅像は、2017年8月16日未明に、市政府の決断により撤去された。撤去の方針は市の有識者委員会がしばらく前から提案していたことではあったが、この日市長の命による突如の取り外し作業を後押ししたのは、その数日前にヴァージニア州シャーロッツヴィルで、ブラックライヴズマター運動の抗議デモを行っている群衆に白人至上主義者の運転する車両が突っ込み、死者を出すまでに至った事件であった。衝突の瞬間の映像は、瞬く間にネット上で拡散し、見る人を震撼させた。トランプ大統領は双方に非があると発言し、火に油を注いだ。実はボルチモアではその2年ほど前に、市警察の拘束中に25歳の黒人青年が不可解な死を遂げたにもかかわらず、担当した警察官がいずれも無罪放免となった別の事件があった。これに抗議した市民の一部が暴徒化し、治安維持のために州兵が市内に厳戒態勢を敷いた記憶は、市長の脳裏にも依然生々しく刻まれていたのであろう。シャーロッツヴィルの一件を受けて、地元の銅像周辺に活動家が集結することを恐れたボルチモア市政府は、闇に先んじて手を打ち、トーニー像を撤去したのであった。
ただ興味深いことに、銅像と銘板は消えたものの、空席となった花崗岩の土台は3年以上経ったこんにちでも広場に残されたままである。上の写真をご覧いただきたい。
vol.100
毎年春・秋発行絶賛発売中
絶賛発売中