『アステイオン』93号の「特集 新しい「アメリカの世紀」?」を読んで、印象に深く残ったのは、マーク・リラ「液状化社会」および大屋雄裕「赦しと忘却」であった。私はここに、アメリカ政治の二つの空白の領域を見いだした。一つ目の空白については、すでに冒頭で触れたので、大屋論考と合わせて後述する。コロナ禍の状況でアメリカ政治にとってより深刻なのは、もう一つの空白であろう。
リラによれば、過去40年の間にアメリカでは、経済のグローバル化と、社会における個人の自己決定権や多様性を認める動き、すなわち「液状化」が進行した。この流れがもたらす恩恵を享受している人々がいる一方で、この流れを不快に感じ、抗おうとしている人々も一定数アメリカに存在し、既存の二大政党は後者にあたる有権者をうまく取り込むことができていない。そこへ登場したトランプは、この名もなき有権者の層を代弁することで支持を得た。トランプとその支持者は、共和党からレーガン保守派を追い出すことには成功したが、政党を政治イデオロギーや制度の面で再建するまでには至っていない。
この名もなき有権者層とトランプの共和党が、私が考えたところのもう一つの空白である。リラの指摘は、トランプが政権を去った後、共和党が党内のこの空洞を果たして埋めることができるのか、また埋めることができたとしてそれがどういう形態をとるのかを考察する上で重要である。民主党政権が誕生しても、都市部以外の地域で優勢な共和党は、少数派が過剰代表される傾向にある政府の部門、例えば連邦議会上院において、かろうじて優位に立つことが今後も見込まれる。圧倒的多数の賛同を得られないであろうと自覚しているためか、上院共和党は、トランプ大統領在任中に下級裁判所も含めた連邦裁判所の裁判官の任命を数多く進めてきた。連邦裁判所の裁判官は終身制であり、ここで共和党が得た影響力はとても大きい。今後長い期間に渡り、特に文化、社会に関する事案について、裁判所の判決を通じて保守的な政策変更が起こるであろうことを想定しておかねばならない。そしてこの変化は、社会面での液状化をよく思わない人々の支持を得るであろうことは想像に難くない。
vol.100
毎年春・秋発行絶賛発売中
絶賛発売中