ディスカッションに耳を傾ける中で、現状を変更するか、あるいは維持するか、未来に対して楽観的な立場を取るか、あるいは悲観的な立場を取るか、テクノロジーの方から人間にアプローチするか、あるいは人間の側からテクノロジーにアプローチするかといったいくつかの分岐が浮かび上がってきた。「絶対これが来るから何かそれを狙おうというよりは、こういう可能性があるという中で、では、今何をやるといいのだろうか、今これを取り組み始めればもしかしたらその可能性はたぐり寄せられるかもしれないということを全く何も考えずにいる社会よりも、比較的一生懸命考えている社会のほうが少しいい方向に行けるのではないか」と西村氏は明確に語った。手元にたぐり寄せる可能性は、常に望ましいものばかりとは限るまい。いや、むしろ望ましくない可能性を先取りすることの方が肝心なことかもしれないと思った。
会場となったSSI豊中ラウンジは満員の盛況で、研究者、企業や経済団体、マスメディアなどの多方面からの出席者による闊達で率直な意見交換は熱を帯びていった。「未来を考えていく責任をどのように考えたらいいのか」という問題、「100年後に責任を持つ人をつくる」という課題、さらに、「自分の気持ちがわからないという子どもたちがすごく多い」という現場の声が、職業的なベースもバックグラウンドも異なる出席者からそれぞれの話の流れの中で提起され、議論を通して一つのトピックが形作られる瞬間を目撃したような気がした。
「人は考えたら物事がわかるのか」「科学は100%正しいという認識でよいのか」という人間と科学のあり方に対する根源的な問題についても議論が交わされ、また、「科学技術はどこまでも発展するものなのか」という疑義も呈された。ただ私には、西村氏が「何もなければ多分これで打ちどめという話だと思うが、そうは言っても何回もそれを超えてきているなという感覚もあるので、それが無理だと言われていたものを何とか超える方法をそれぞれが考えている」のではないかと述べた一言が妙に心に残った。「すでにある未来の可能性」に未来を連結してゆくことは、現在の範疇に未来を組み入れることであり、未来のデザインとは、つまり現在の拡張にほかならない。
vol.101
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