コラム

人を仮死状態にする薬をAIで探したら、認知症治療薬がヒット...なぜ「ドネぺジル」は冬眠の代わりになり得るのか?

2024年09月09日(月)13時40分

さらに、研究チームは薬剤の毒性に配慮し、ドネペジルを脂質ナノ粒子のカプセルに入れることを提案しています。実験では、カプセルに入れたものと入れないものでは、双方とも運動性の低下、心拍数の低下、酸素消費量の減少が観察され、ドネペジルで「冬眠状態」になったことが確認できました。

しかし、カプセルに入れない場合は、投与後 2~3 時間以上経過すると毒性が現れ、死亡するものや形態学的変化が見られるものも現れました。さらに、カプセルに入れたドネペジルを使用したほうが、誘発する薬剤の能力が大幅に向上し、同時に毒性が大幅に低下することが分かりました。

論文の責任著者であるドナルド・E・イングバー博士は「ドネペジルは数十年にわたって世界中の患者に使用されてきたため、その特性と製造方法は十分に確立されています。私たちが使用したものと類似した脂質ナノキャリアも、現在では他の用途での臨床使用が承認されています。この研究は、カプセル化された薬剤が将来、患者が壊滅的な傷害や病気から生き延びるための重要な時間を稼ぐために使用される可能性があり、新薬よりもはるかに短い時間で簡単に処方および大量生産できることを示しています」と語っています。

宇宙開発で使われる未来は?

ドネペジル・カプセルが実用化したら、緊急医療の現場では搬送前にまず「治療の時間稼ぎ」のためにこの薬を投与することが当たり前になるかもしれません。さらに、非侵襲的なため訓練されてない人でも治療を施せることから、将来的には施設や学校にはAEDとともにドネペジル・カプセルも設置される可能性もあるかもしれません。

この薬は「冷やさずにコールドスリープを誘発する薬」とも言えます。SFのように宇宙開発で使われる未来は考えられるでしょうか。

現在、日本が関わっている有人宇宙探査は、月に再び人類を降り立たせようという「アルテミス計画」が進んでいます。月の次は火星と構想されていますが、現在の技術では地球から火星まで片道約250日かかります。人工的な冬眠で一部の日程だけでも宇宙飛行士たちの代謝や呼吸数を抑えることができれば、ロケットに積む食料や酸素を節約することができます。

もっとも、宇宙の微小重力下では、薬の効き方や代謝されるまでの時間が地球上とは異なってくる可能性があります。宇宙空間での動物実験や臨床試験が必要であることを考えれば、実現はそう簡単ではないでしょう。

とは言っても、一般に医薬品の開発には10年以上の時間と数100億~数1000億円規模の費用が必要とされます。今回の研究で示された「既存の承認薬が持つ他の薬効をAIに調べさせる」手法は、開発期間と費用を大幅に削減し、結果として薬価を抑えるための救世主になるかもしれません。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米肥満薬開発メッツェラ、ファイザーの100億ドル買

ワールド

米最高裁、「フードスタンプ」全額支給命令を一時差し

ワールド

アングル:国連気候会議30年、地球温暖化対策は道半

ワールド

ポートランド州兵派遣は違法、米連邦地裁が判断 政権
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2人の若者...最悪の勘違いと、残酷すぎた結末
  • 3
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統領にキスを迫る男性を捉えた「衝撃映像」に広がる波紋
  • 4
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 7
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 10
    長時間フライトでこれは地獄...前に座る女性の「あり…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 7
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 8
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 9
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 10
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story