コラム

他のオスと戦うか「間男」になるか...ヤリイカのオスの繁殖戦術は「誕生日」で決まる 東大グループが解明

2024年05月09日(木)19時40分

さらに、繁殖期の半ばにあたる3月までに採取されたサンプル中には、未成熟オスが存在していました。その特徴は、誕生日は3月29日から7月18日までとペアオスと大きな違いはありませんでしたが、身体はスニーカーオス程度でペアオスよりは小さなサイズでした。この結果は、観察された誕生日の早い未成熟オスは、体のサイズではスニーカーオスに達していますが、すでにペアオスになる運命をたどっているため、スニーカーオスとはならずに成熟過程にあると考えられます。

次に、平衡石の大きさと体のサイズとの関係式を用いて、何日齢の時点でどれだけの体サイズであったかを推定する「バックカリキュレーション法」を用いて、各個体の過去の成長履歴を算出しました。

すると、生まれた時期が異なっても100日齢までの成長には差がなく、成熟期に繁殖戦術間で見られる「ペアオスの体が大きく、スニーカーオスは小さい」というサイズの差異は、生後100日以降に生じていることが明らかになりました。

研究チームによると、これらの結果から、ヤリイカは父親の繁殖戦術を単に継承したり初期段階の成長の良し悪しでサイズに差がついたりすることで各個体の繁殖戦術が決まるのではなく、誕生日に由来する何らかの環境条件が「ペアになるか、スニーカーになるか」を決定していることが示唆されました。ただし、それがどのような環境要因なのかは今回は明らかになっておらず、さらなる実証実験が待たれるところです。

気候変動が海洋生物に与える影響の予測に役立つ可能性も

この研究は、「誕生日仮説」が魚類以外の幅広い生物種にも当てはまる可能性を示しました。さらに、ヤリイカの代替繁殖戦術のメカニズム解明というある1動物種を深堀りしただけでなく、気候変動によって孵化時期の水温などの環境が変わると、海洋生物の繁殖戦術や動物種の集団の成熟組成に影響しかねないことも示唆しています。逆に考えれば、イカの仲間の中でも高緯度まで広く分布しているヤリイカのペアオスとスニーカーオスの集団組成を年毎に追えば、気候変動が海洋生物に与える影響の予測に役立つかもしれません。

誰もが知っている海産物のヤリイカですが、寿命が1年とか、生まれた時からメスへの近づき方が決まってしまっているオスの生態を知って、かわいそうな運命だと同情した人も多いかもしれません。それにしても、喧嘩の強さを魅力とするペアオスも、頭脳戦で何とか子孫を残そうとするスニーカーオスもどんと来いで、生涯に1度の繁殖期にどちらの子供も多量に作るメスの逞しさは印象的ですね。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

エプスタイン文書、米司法省が30日以内に公開へ

ワールド

ロシア、米国との接触継続 ウクライナ巡る新たな進展

ビジネス

FRB、明確な反対意見ある中で利下げ決定=10月F

ビジネス

米労働省、10月雇用統計発表取りやめ 11月分は1
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 2
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 3
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、完成した「信じられない」大失敗ヘアにSNS爆笑
  • 4
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 5
    ロシアはすでに戦争準備段階――ポーランド軍トップが…
  • 6
    「これは侮辱だ」ディズニー、生成AI使用の「衝撃宣…
  • 7
    衛星画像が捉えた中国の「侵攻部隊」
  • 8
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 9
    ホワイトカラー志望への偏りが人手不足をより深刻化…
  • 10
    【クイズ】中国からの融資を「最も多く」受けている…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 5
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 6
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 7
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 8
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 9
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 10
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story