コラム

ヒトゲノム完全解読、「究極の個人情報」にアクセスできる時代に起こり得ること

2022年04月12日(火)11時30分

研究チームは完全解読のために、研究者100人以上が参画して染色体を端から端まで一気に解読するプロジェクト「テロメア・トゥ・テロメア(T2T)コンソーシアム」を結成し、最新技術を駆使して残り部分を解読しました。最近のコンピューター処理能力の進歩によって、"1つ1つのパズルのピース"を大きく取ることができるようになったことが成功につながったといいます。

近年になって、テロメアはがん化や老化に重要な役割を果たし、セントロメアは細胞周期の進行に関わっていることが解明されています。さらに今回の解析では、テロメアやセントロメアの部分から「遺伝子」とみられるものが99個見つかりました。この部分は決して「がらくた」ではないという証拠です。

究極の個人情報ゆえに危険も伴う

ヒトゲノムの完全な塩基配列決定について、研究チームは「遺伝性疾患の研究や検査などに利用できて、生物学や医学の進歩に寄与する」と意義を語っています。特定の細胞のがん化のメカニズムや、疾病や耐性の個人差を見出すだけでなく、他の生物のゲノムと比較することで人類の進化の解明にも役立つと期待されています。

さらに、NHGRIのアダム・フィリピー氏は「完全解読によって、誰もが自分の全遺伝情報に簡単にアクセスできるような時代に一歩近づくかもしれない」と語ります。

近年、唾液を民間企業に送るだけでガンや生活習慣病に関するリスクがわかるとうたう簡易的な遺伝子検査が話題となっています。あるいは病院では本格的な遺伝子診断によって、ガンの薬の効きやすさや副作用のリスクを評価する試みが行われつつあります。けれど、たとえ遺伝子変異が見つかっても治療法がない場合も多く、「患者にどのように伝えるべきか」が議論になっています。また、米国ではすでに、遺伝子診断の結果で生命保険の契約を断られたり、就職差別をされたりするという問題も生じています。

日本では、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」を踏まえて、2000年6月に科学技術会議生命倫理委員会が「ヒトゲノム研究の基本原則」を取りまとめました。この中には、研究者や医療従事者などが守るべき「個人の遺伝情報保護の厳守」や「試料提供者へのインフォームド・コンセント」「遺伝子に基づく差別の禁止と被害者への補償」などが盛り込まれています。翌2001年には文部科学省・厚生労働省・経済産業省によって「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」が作成され、2013年に全面改正がなされた後も個人情報の匿名化などについて、こまめに見直しがされています。

遺伝情報は究極の個人情報です。誰もが自分の遺伝情報にアクセスできる時代になれば、それだけ情報漏洩や情報窃盗の危険も高まります。科学的な偉業の達成は喜ばしいことですが、保護システムや罰則規定の強化を、先手先手で検討すべきでしょう。

ニューズウィーク日本版 AI兵士の新しい戦争
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2026年1月13号(1月6日発売)は「AI兵士の新しい戦争」特集。ヒューマノイド・ロボット「ファントムMK1」がアメリカの戦場と戦争をこう変える

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

JPモルガン、アップルカード事業の継承で合意 ゴー

ビジネス

ヘッジファンド25年運用成績堅調、株式投資は16%

ワールド

米大統領、60超の国際機関からの脱退宣言=ホワイト

ワールド

ルビオ氏、デンマークと会談へ グリーンランド巡り欧
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AI兵士の新しい戦争
特集:AI兵士の新しい戦争
2026年1月13日号(1/ 6発売)

ヒューマノイド・ロボット「ファントムMK1」がアメリカの戦場と戦争をこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 3
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した──台湾高官が分析
  • 4
    ベネズエラの二の舞を恐れイランの最高指導者ハメネ…
  • 5
    「グリーンランドにはロシアと中国の船がうじゃうじ…
  • 6
    マドゥロ拘束作戦で暗躍した偵察機「RQ-170」...米空…
  • 7
    日本も他人事じゃない? デジタル先進国デンマークが…
  • 8
    公開されたエプスタイン疑惑の写真に「元大統領」が…
  • 9
    衛星画像で見る「消し炭」の軍事施設...ベネズエラで…
  • 10
    トイレの外に「覗き魔」がいる...娘の訴えに家を飛び…
  • 1
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチン、その先は袋小路か
  • 2
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 3
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 4
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙…
  • 5
    眠る筋力を覚醒させる技術「ブレーシング」とは?...…
  • 6
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 7
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 8
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 9
    アメリカ、中国に台湾圧力停止を求める
  • 10
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した─…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 7
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 8
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 9
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
  • 10
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story