コラム

満開の桜が見られなくなる? 60年寿命説、地球温暖化──花見に迫る危機とは

2022年04月05日(火)11時20分

いっぽう、庶民の間でも、桜は古くから特別な花でした。農民たちは桜の開花時期を農作業を始める目安にしたり、咲き方で豊作・凶作を占ったりするなど、生活に根差した樹木として大切に扱ってきました。

江戸時代になると都市部の町民文化が発展し、花見は桜を愛でる風雅な行事というよりも酒盛りを楽しむ娯楽として広がります。植木職人によって桜の交配や改良も盛んに行われるようになり、江戸時代末期には、エドヒガンとオオシマザクラを掛け合わせた(種間雑種の)ソメイヨシノが誕生します。

日本中の'染井吉野'がクローン

ソメイヨシノは、花とともに赤色の葉をつけるヤマザクラとは異なり、花の時期には葉をつけません。花は大きく、成長スピードは速く、枝が横に大きく広がって見た目が華やかなため、明治時代以降に急速に広まります。現在は、本州の桜の名所に植えられている品種は、ほとんどがソメイヨシノかつ'染井吉野'です。カタカナのソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの種間雑種全体の名称で、漢字の'染井吉野'は日本全国に接ぎ木で広がった特定の栽培品種を指します。つまり、日本中の'染井吉野'は同じ遺伝子構成(クローン)です。

近年は、「'染井吉野'60年説」などとともに「桜の名所の危機」も話題になることがあります。

成長が速い'染井吉野'は年輪が疎になりがちで、樹木の強度が低いにもかかわらず横に広がります。風を受ける面積が大きいため台風などで折れやすく、折れたところから腐食してしまうことが多いです。

さらに、桜の名所作りのために密集して植えられやすいので、樹木1本について本来必要な光、水、養分が得られる面積を与えられなかったり、多くの花見客に根元は踏みつけられて傷を負ったりしがちです。

しかも、もともと病気に弱い品種にもかかわらず全てがクローンなので、カビが原因の「てんぐ巣病」などが起きると近くの'染井吉野'全体に病気が広がり、一気に枯死するおそれがあります。

'染井吉野'は樹齢30-40年が樹勢のピークで、50年を超えると幹の内部が腐り、およそ60年で寿命を迎えるという説があります。

かつては「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言い伝えがあり、枝の切り口からの腐食を防ぐために、桜は剪定しないことが常識でした。けれど、東北屈指の桜の名所である弘前城では、1960年頃から同じバラ科樹木であるリンゴの栽培技術を応用して、積極的に城内の桜を剪定しました。すると、300本以上の樹齢100年を超える'染井吉野'が今も古木が花を咲かせ、樹勢を保つことに成功しました。剪定だけでなく、土の入れ替えや肥料の与え方にも工夫した「弘前方式」は全国に伝わり、寿命を延ばした'染井吉野'も各地にあります。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

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