コラム

ワリエワのドーピング問題をめぐる2つの判断ミスと3つの謎

2022年03月01日(火)11時30分

さらに、ワリエワ選手は出場こそ認められたものの、公式練習後に英国メディアを名乗る男性から「薬をやったのか?」と問いかけられたり、フリー演技の直前練習ではショート1位にもかかわらず最下位グループに入ることを要求されたりするなど、厄介者扱いをされました。フリーでは不安定な演技を披露しましたが、それすらも「自分のせいで表彰式がなくなることを防ぐために、わざとジャンプを失敗した。スポーツマンシップに欠ける」などと揶揄されました。CASは裁定の根拠として「五輪出場を妨げれば、選手に回復不可能な損害を与える」と答えましたが、出場によってワリエワ選手が負った心の傷は決して小さくはないでしょう。

判断ミスの2つ目は、ワリエワ選手のドーピング問題に対するロシアの態度です。

ROCは、ドーピング陽性だったのは五輪期間外の昨年12月25日の検体で、北京五輪中の検査では陰性だったことから、五輪の成績は維持されると主張する声明を出しました。

フィギュア団体のメダルは3月1日現在、ドーピング問題の検証に時間がかかるために、ROCだけでなくアメリカや日本の選手の手にも渡っていません。そのような状況の中、五輪閉会式翌日にはモスクワでROC五輪選手団に対するセレモニーが開かれ、ワリエワ選手を含むフィギュア団体金のメンバーには功績を称える「特別賞」が渡されました。さらに数日後には「国家勲章」も授与されました。

もともとロシアは、14年ソチ五輪で組織的なドーピングがあったと認定され、22年12月までは五輪や世界選手権などの主要国際大会からは除外されている立場です。「潔白を証明できた選手のみが例外として個人資格で参加できる」と規定されているので、参加国の対抗戦であるフィギュア団体競技に出場したのはそもそもおかしいという意見も多いです。独自のセレモニーや勲章授与は、批判に対して火に油を注ぐ行いになりました。

ドーピングの事実を前もって知っていたのは?

次に、ワリエワ選手のドーピング問題の3つの謎を紐解きましょう。

禁止薬物の検出に間違いがなければ(※)、①選手本人は服用の事実も知らなかった(第三者に知らぬうちに飲まされた)、②選手本人は違法と知らずに服用した(サプリと思っていたなど)、③選手本人が違法と知って服用した(ドーピング違反を自覚していた)の3通りに場合分けできます。

※ロメリジンという片頭痛の薬が体内で分解されると、一部がトリメタジジンに変化して、尿中から検出されることがある。

ワリエワ選手は、歴代のフィギュア女子選手の中で最も完成度の高い選手と言っても過言ではありません。筋力に勝る男子選手でも難しい4回転ジャンプや3回転半ジャンプも飛べますが、スピンやステップ、静止ポーズの美しさ、表現力、失敗の少なさなど、ほぼ完全無欠の選手です。フィギュア史上、女子の世界最高得点は昨秋にワリエワ選手が出した272.71点で、2位で北京五輪金メダリストのアンナ・シェルバコワ選手には約17点の差(高難度ジャンプ2本分に相当する得点差)をつけています。

さらに、女子は演技構成点が男子の0.8倍で計算されるので、これを男子の規定で計算すると301.14点になります。現在のルールになってからの300点超えは、男子ですら北京五輪金のネイサン・チェン選手、銀の鍵山優真選手、羽生選手しか出したことがありません。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

国際刑事裁判所、イスラエル首相らに逮捕状 戦争犯罪

ワールド

ロシアがICBM発射、ウクライナ空軍が発表 初の実

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部の民家空爆 犠牲者多数

ビジネス

米国は以前よりインフレに脆弱=リッチモンド連銀総裁
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 2
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱が抜け落ちたサービスの行く末は?
  • 3
    「ワークライフバランス不要論」で炎上...若手起業家、9時〜23時勤務を当然と語り批判殺到
  • 4
    習近平を側近がカメラから守った瞬間──英スターマー…
  • 5
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 6
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 7
    クリミアでロシア黒海艦隊の司令官が「爆殺」、運転…
  • 8
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」…
  • 9
    若者を追い込む少子化社会、日本・韓国で強まる閉塞感
  • 10
    70代は「老いと闘う時期」、80代は「老いを受け入れ…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国」...写真を発見した孫が「衝撃を受けた」理由とは?
  • 4
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 5
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 6
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 7
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 8
    建物に突き刺さり大爆発...「ロシア軍の自爆型ドロー…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    秋の夜長に...「紫金山・アトラス彗星」が8万年ぶり…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 10
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story