ルワンダのカリツィエから見る日々のあれこれ
足元に集まる視線
アフリカに住んで何年も経つと、日本人がアフリカの地や人々に対して持っているイメージや印象を聞く機会がよくある。ルワンダに訪れた日本人の通訳をする場面で、ルワンダ人にされる質問のほとんどが元々日本人が持っているアフリカのイメージを前提として生まれた疑問だったり言葉であり、そんなところから日本人である私自身もアフリカ人はこのように思われているんだなと気づかされるのである。
今日は、その逆を考える話をしたいと思う。
ルワンダの人々は他の国の人に対してどのようなイメージや印象、考え方を持っているのか。
今回ここでいう他の国の人とは、アフリカ以外の国に住む人たちのことを指して話すこととする。ルワンダ人の会話ではこの『私たちアフリカ人とその他の人』というわけ方が一番よく聞かれるからである。もちろんアフリカの中におけるそれぞれの国に対するイメージや考えも、お茶の間の会話で出たりして興味深いのだが、それはまた別の機会に話せたらと思う。
ルワンダ人がそれらの人々に対して持つイメージや考えというのは、ルワンダに旅行に来たり、住んでいる人から実際に得るものとテレビやインターネット、映画などの映像から得られる情報から得ているものがあるだろう。実際に彼らの目でみたり感じたりするものに対しては、ルワンダ人の間で共通認識みたいになっているものもあり、私も『その他の人』に属される者としてこんな風に見られていたのかとまた気づかされる。
ここではその中でも特に興味深いと思ったものをお話ししたい。これはあくまでも私が関わってきたルワンダ人から良く聞く事で、これがルワンダ人全員の考えであるわけではないと言う事を考慮した上で聞いてもらえたらと思う。
ルワンダ人はとても綺麗好きで、外出時にはとっても身なりを気にする。そんなルワンダ人らしい言葉ともとれる、『靴が汚れても綺麗にしない人たち。』というやつだ。
ルワンダは首都なんかは特にメイン道路は綺麗に整備されてコンクリートの道路が立派だが、それでも少し細道に入れば、そこはまだまだ土の舗装されていない道が広がる。そんな道を少しでも歩いた時には、せっかくの綺麗な靴があっという間に汚れてしまう。乾期の田舎の道は特に砂埃が巻き上がるほど。
逆に雨期は雨が降ると、靴が泥まみれに。
こんな状況が日常で慣れているルワンダ人は、それ見越して靴を選んだり、たとえどんなに汚れても、次に出かける時にはその汚れたままの靴を履いて外出するということはなく、必ず綺麗に磨く。たとえ待ち合わせの時間に遅れそうになっていても、これくらいいいや!そんなことより急がなきゃ。とはならないのだ。
それに対して、靴が頻繁に汚れる事に慣れていない私たちは、一度このように汚れてしまうと、まずどうしていいのかわからなくなる。最初のうちは綺麗にしていたとしても、結局またすぐ汚れてしまうからとその後はあまり気にしないようになる、というのが理由の一つだろうか。私も最初に地方の田舎に住んで、砂まみれになって協力隊の活動をしていた時は、格好などは二の次でほとんど気にかけていなかった。しかし現地語がわかるようになって、ルワンダ人同士の会話の中で、汚い靴を平気で外出時に履いていると、冷やかしで 『外国人の真似してるの?』みたいに言われているルワンダ人を見て、自分の靴はどうだったかと焦って確認してしまうほど、恥ずかしくなったのを覚えている。
この汚れた靴をそのままはく。というイメージはいろんなところでいろんな異なる人から聞いてきた。これと同じように、シャツにアイロンがかかっていないと恥ずかしいからそれをやめなさい、と良く指摘を受けたりもする。
ルワンダ人から見たその他の人のイメージという観点で話をしたが、結局はここでも、ルワンダ人の意外なところがわかったと思う。この話をするまでは、彼らにそこまで神経質に身なりを清潔に保つ意識があるとは思わなかったのではないだろうか。この意外な部分というのが最初に話した私たちが無意識に彼らに対して持っているイメージによって起きるものなのだ。
それはさておき、ルワンダに来る際には、足元へのルワンダ人の視線に要注意という事を頭に入れておきたい。
著者プロフィール
- 大江里佳
ルワンダキガリ在住。2014年に青年海外協力隊としてルワンダに渡ったことをきっかけに、この土地の人々の生きる力と地域の強い結びつきに惹かれる。帰国後も単独でルワンダに戻り、現地NPO職員を経て、2019年に現地でコンサルタント・現地語通訳等の会社を起業。一方で、現地アフロダンスチームに所属しダンス活動も行う。2018年から同棲を始めたルワンダ人パートナーとの間に子を授かり、2020年に出産。現在家族3人でキガリで暮す。
Webサイト: URUZIGANGO
Twitter: @satoka817