ルワンダのカリツィエから見る日々のあれこれ
見送りの道
ルワンダ人がよく使うフレーズというのがいろいろあると前回のブログで少し話したが、今回はそんなフレーズに目を向けた話をしてみたいと思う。
ここに住んで6年にもなるが、現地の言葉もある程度理解できるようになってくると、ルワンダ人同士の会話の中で多用されるフレーズに気づいてくる。そもそも現地語を勉強し始めた頃、日常生活の中でよりそれに慣れ、いろんな言葉を聞きたいと思い、できる限り現地の人々の中に入り込んで一緒に時間を過ごしていた。
そうすると毎回同じようなシチュエーションやタイミングで使われる言葉というのが耳に入ってくるようになる。その言葉の意味は知らないはずなのに、その状況に何度も出くわすことで、こういった時に使われる言葉だからこんな意味なのかな、とその感覚で意味がわかってくることが多々あった。
また逆にこの言葉の意味はわかっているはずなのに、なんでこのタイミングで使われるのかと疑問に思う場面にも出くわす。その場合、その言葉の裏に隠された本当に伝えたい思いがあったりしてそれに気づいた時、ルワンダ人の国民性のようなものがそこに見えてきた。
前回話をした訪問文化にも現れるように、彼らのコニュミケーションや付き合い方を見ていると、それは私たち日本人のものよりもとっても近い関係にあり、お互いの関係性を気にしている人々であると感じる。
私がルワンダ人らしいなと感じる彼らの行動の一つに、現地の言葉で『guherekeza』というものがある。これは誰かに付き添うとか、同行するという意味をもつが、いろんな場面で使用される。
例えば、家に訪問したお客さんが帰っていく時、必ずこのguherekezaをする。礼儀としてお客さんが家の門から出ていくところまで見送るのが基本。もっというと門を越えて少し先の道のあたりまで送っていく。これをしないと歓迎されていないお客であるかのように受け取られてしまうという。そしてこの見送りの時間に唯一その人とだけの時間になれるので、家に訪問した時にたくさん人が集まる家の中では話すことができなかった話を切り出すということがある。場合によっては、その時を待って、一番重要な話をするつもりで、その前置きとして家を訪問するようなこともあるのだ。そんな時は、この見送りの時間がとっても長くなって、見送りだったはずが、道での立ち話で一時間も経った後に戻ってくるというようなこともある。
ある時ルワンダ人がたくさん集まっていた自宅に日本人の友人が遊びにきて、時間になるとそれじゃは私はこれで、みたいな感じで挨拶をしてさっと一人で家を出て行くのを見たルワンダ人がとっても驚いて、日本人はあっさりしてるんだねと言っていた。
また多くの人の集まりの中で、一人だけどこかにいく時のようなシチュエーションでもこのguherekezaが発生する。例えば、何かを持っていくように頼まれたり、近所への買い出しなど。ちょっと席をはずすようなことでスッと一人で行けばいいものの、ちょっと一緒に付いてきてよ、みたいな感覚で誰か付き添ってくれる人を誘って一緒に行く。これは子供に限らず大人においても同じだ。
このようにコミュニティや集団の中から一人外れて疎外感や不安を感じたり、自分がその中でどの位置にいるのかのようなことをとても気にしている。これは日本人の社会においても少し似ているのかなと思う。
このguherekezaと同じように彼らが良く使うフレーズの中にも、とってもルワンダ人らしいなと思うものがあるので是非紹介したい。
『Ndagukumbuye』あなたのことがとっても恋しい。『Waranyanze』私のこと嫌いになったでしょ?というやつだ。
この日本語の意味を見ると、恋愛関係にある間柄のイチャついている会話のようにしか見えないのだが、これが日常的に友人や家族のような間でも交わされる。日本語に訳すとかなり想いが詰まった言葉のように感じてしまうが、彼らはこれを挨拶がわりのように電話やチャット、日常の会話で使用する。
この感覚を日本のものとは違うとわかっていながらも、まだ自分の中に落とし込めていない時期に、彼にかかってくる電話やメッセージ、ましては私の目の前でもこの言葉を聞くことがあり、この人はどれほどの相手を弄んでいるのか、いや弄ばれているのは自分なのか、いやいやこれは彼らにとってただの挨拶や社交辞令のようなものなんだ。といろんな推測がよぎって、頭を抱えたことを思い出す。
どちらのフレーズも長い間会っていなかったり、連絡を取っていなかったりして久しぶりの会話の時に使われるもので、その間がどれだけ大きいものだったかを表現するために、こんなに連絡してこないなんて私のこと嫌いなんでしょ?みたいこと。面白い点は、長い間というがそれがそんなこともなく、継続的に会っていた時期があってそれがなくなったりすると、それまであった関係がなくなってしまったかのような気持ちになって、このような言葉と一緒に挨拶の電話をかけたりする。
こんなところからも彼らの寂しがり屋というか構って欲しいというようなそんな性格が垣間見えてきて、今ではそんな風景を見るととってもルワンダ人らしいなと思うのである。
著者プロフィール
- 大江里佳
ルワンダキガリ在住。2014年に青年海外協力隊としてルワンダに渡ったことをきっかけに、この土地の人々の生きる力と地域の強い結びつきに惹かれる。帰国後も単独でルワンダに戻り、現地NPO職員を経て、2019年に現地でコンサルタント・現地語通訳等の会社を起業。一方で、現地アフロダンスチームに所属しダンス活動も行う。2018年から同棲を始めたルワンダ人パートナーとの間に子を授かり、2020年に出産。現在家族3人でキガリで暮す。
Webサイト: URUZIGANGO
Twitter: @satoka817