南仏の国際機関から考える
フランスにおける「ソリダリテ(連帯)」と「自助・共助・公助」
皆さんは「ソリダリテ(連帯)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
◆仏語:"Solidarité":
英語訳:Solidarity
日本語訳:連帯、団結 など
フランス語において家族や友人、コミューン(村、街など)や都市、国家といった社会的共同体における構成員の間における社会的及び精神的な「紐帯」を示しており、日本語ではメディアや論文等では「連帯」と訳されることが多いです。
実はこの言葉、フランスでは日常生活で頻繁に使用されており、かつて税金の名称にも使われたとか。また、日本の厚労省にあたる省庁の名称は「Le Ministère des Solidarités et de la Santé(直訳:連帯・保健省)」であり、ここでもストレートに使用されており、どうやら社会制度の根幹部分にこの「ソリダリテ(連帯)」の概念がしっかりと根付いているようです。
筆者はフランス文化・社会制度のプロフェッショナルではないのでその論評・考察は専門家の方に任せますが、今年の新型肺炎による外出制限令や同時期の緊急事態下において、一般新聞・テレビ等のみならず、筆者の勤務する国際機関の職場においても、「ソリダリテ(連帯)」という言葉を多く聞くことがありましたので、その観点から少し触れたいと思います。
これまで英単語の「Solidarity(ソリダリティ)」の同義語だろうという程度での理解しかしていませんでしたが、同僚のフランス人達と英語で(ITER機構の共通言語は英語のため)会話している中で、どうもこの単語だけは英語ではなく、フランス語原語での「Solidarité」と言わないと意図が伝わらないと彼ら・彼女らが感じているように思います。
日本に比べ個人主義であると評される事の多いフランスですが、この度の新型肺炎の緊急事態下において「買い物に行けない環境にある人の代わりに必要な生活必需品を買ってくる」とか「マスクの予備がある所は、必要とされている所(例えば病院や養老院など)へ分ける」など、我が国でも災害時等において「絆」という言葉で表現される「他者への思いやり」を目にすること・耳にすることが多く、その都度「Solidaritéが大切である」という表現に接しました。
興味深いのは、この「Solidarité」が個々人による他者との紐帯を表すもの(個人としての感情、人間性)と、同時に公的な仕組みとしての制度(税金、社会保障制度)の両者に渡ってフランス人の中に、フランス社会に「概念」として存在していることです。
ここで、日本における安倍前首相の辞任~菅新首相就任までの間にメディアで取り上げられることの多かった「自助・共助・公助」に目を向けてみますと、これはもしかするとフランス社会における「Solidarité」の概念に照らし合わせると、気づきがあるのではないかと思えてきます。
■まず最初に確とした「個」があり、それは出来る限り徹底的に「個人」が「個人として」自らの意見に責任をもって存在する事が前提にある。(自助)
■その先に、そうした個人と個人の間での「絆」があり、必要に応じ補完し助け合うような関係がある。(共助)
■そしてそれが社会全体として、制度として、構成する共同体の中で仕組みとして扶助する。(公助)
この「自助・共助・公助」の3点すべてが揃ってはじめて「Solidarité」の概念になるのではないかと思います。これはどれか一つでも欠けてはならず、例えば巷にある「自助」なのか「公助」なのかという二元論的な議論は不毛であり、社会を構成する成員それぞれが個を持つことを諦めていては、共に支え合うことも出来ず、結果的にその共同体はそれ自身を支えるような仕組みを創り上げることが出来ないと考えます。
最後に、当たり前の事ではありますが人は一人では存在出来ないものであり、他者があってこそ「Solidarité」の概念があるものです。自分自身の出来る範囲で「自助」である努力をし、「共助」の輪に有り難く繋がらせてもらい、「公助」が気持ちよく隅々まで行き渡る仕組みを創り上げていきたいと思っています。