中国航海士・笈川幸司
第6回 中国人学生とのひと時
この1年、おかげさまで、本当に多くの方からメッセージをいただきました。その中でダントツで多かった質問は、「昨秋、NHK『逆転人生』で、CCTVの記者として東日本大震災で家族を無くしたご老人にハグをした張さんとのエピソードを聞かせてください」と言うものでした。
以前出版した著書に彼のことを書いた部分があり、出版社から著作権の問題が出ないよう手続きを踏みましたので、ここでご紹介します。この文章によって、中国の若者の苦悩や心持ちを日本の皆さんにお伝えできれば何よりです。写真:張さんご本人提供
学生シンポジウム(2006年春)
北京大学に着任後、しょっちゅう遊びにきてくれた3年生男子がいる。彼の名は張浩宇くん。当時、僕の髪は金髪だったが、彼は髪を赤に染めていた。一緒にいると気分がいいので、何かあるとすぐ彼に電話した。
新学期、1年生のスピーチ大会など、その活躍ぶりが日本語学科全体に伝わり、次の学期には3年生全員が僕の会話授業を選択してくれた。そして、授業がはじまるとすぐに張くんをはじめ、クラスの男子全員が僕の部屋にきてくれた。
実は、この学年にはちょっとした問題があった。「男子は成績も能力も足りない」という本当かどうかわからない理由で、女子全員から馬鹿にされているというのだ。
「授業中に先生に指名されると、女子が冷たい視線で男子の顔を見ることに耐えられない」と言ってきた。そこで、ちょくちょく秘密裏に会議を開き、男子の汚名返上作戦を決行することになった。
会話授業の期末試験は、最終日に開催する「学生シンポジウム」。その日は、ひとりひとりが日本語学科を卒業した先輩たち(有名人も多数いた)に連絡してインタビューをとり、後輩たち(自分たち)に向けたアドバイスをもらい、それらをまとめて発表するというものだった。
授業中に僕がそれを提案すれば、普段からイニシアチブを握っている女子が男子を無視して、勝手に段取りを取ってしまうだろう。そうならないように、男子が予め段取りを踏んで、期末試験の内容を発表することになった。
期末試験の内容を発表すると教室がざわめいた。なぜなら、予定通りに男子が全員教壇の前に立ち、「期末試験の提案」というテーマでプレゼンを始めたからだ。彼らの話が終わると女子からブーイングが起こった。そこで、僕の登場だ。
「みんな、こんなに素晴らしいアイディアを考えてくれた彼らを尊重する気持ちはないのか?ほんとうに素晴らしいアイディアを、ありがとう!これほど素晴らしいプレゼンを初めて見た!どうだ、みんな。彼らの思う通りにやってみないか?」
僕はそそくさと、満足げな表情のまま教室を出た。その後、女子があれこれ文句を言って来たらしいが、こういう時は気にしてはいけない。
僕は最後の会議で男子に向かって言った。「いいか!何を言われても、これだけは実行しなければならない。司会者や発表リーダーは全員女子にやってもらおう。彼女に花を持たせるんだ!そして、このイベントだけは絶対にやり遂げるんだ!」と。
男子が帰るときには全員笑顔になっていた。そしてこの学生シンポジウムでは、男子に花を持たされた女子が頑張ってくれたお陰で、最高の盛り上がりを見せた。
学生シンポジウムは成功した。なぜ、そう言えるか。
なぜなら、卒業した先輩たちのアドバイスを聞いたお陰で、彼らは、他校の学生よりも早く、より良い進路を決められたからだ。高い意識を持って準備をしたおかげで、年内にはほとんどの学生の進路が決まっていた。これはすごいことだ。しかし、張くんは...。
彼は「自分には才能がない」と言っていた。しかしちょうどその頃、日本人留学生8人に対し、50日間連続の中国語特訓班を無償で実施していて、張くんはそこで人気講師だった。実際に彼ほど他人の気持ちを察することのできる男はいないと思う。日本語が下手?一級試験に合格できない?そんなのは関係ない。「北京市日本語アフレコ大会」では、彼が北京大学の代表として総合司会をつとめた。来賓のご挨拶では、司会をしていた彼が準備もなく逐次通訳を引き受け、会場は盛り上がった。だから、僕は言い続けた。「いいか、お前には特別な才能がある。その才能を生かせるところが必ずあるから、焦らずに待とう!」と。
卒業間際になって彼から電話があった。千倍以上の競争率をかいくぐって、CCTVに入社することが決まったという。彼は貧しい家庭で育ち、大学では優秀な成績は残せなかったが、自分の学費も、妹の学費もアルバイトをして稼いでいた。
「そっか。おめでとう!いろいろ貢献できるよう、頑張ってな!」
彼はいま、CCTVから東京に派遣され、記者の仕事をしている。東日本大震災のときには毎日テレビで彼の姿を見ることができた。頑張っているようだね。
そうそう、言い忘れてしまったが、学生シンポジウムをきっかけに男子はみな、女子に頼られる存在になったという...。めでたし、めでたし。かな。
著者プロフィール
- 笈川幸司
1970年埼玉県所沢市生まれ。中国滞在20年目。北京大学・清華大学両校で10年間教鞭をとった後、中国110都市396校で「日本語学習方法」をテーマに講演会を行う(日本語講演マラソン)。現在は浙江省杭州に住み、日本で就職を希望する世界中の大学生や日本語スキル向上を目指す日本語教師向けにオンライン授業を行っている。目指すは「桃李満天下」。