World Voice

アルゼンチンと、タンゴな人々

西原なつき|アルゼンチン

ブエノスアイレスに日本語名のクリーニング屋が多い理由

(photo:istock_tommich)

ブエノスアイレスの街を歩いていると、多く見かけるお店のひとつに、洗濯屋さん(lavanderia) があります。溜まった洗濯物をお店に持って行くと、一袋いくらと値段が付き、翌日には畳んだものを受け渡してくれる、というサービス業です。この街にはコインランドリーというものはほぼなく、この洗濯屋が圧倒的に多いのです。

洗濯機を持たない人の多い下町や学生街では200m歩けば少なくともひとつは見つかるくらいで、旅行等での短期滞在者にも便利なサービスです。私も滞在当初貯金を崩しながら学校に通い生活していた頃、4年間は洗濯機ナシ生活で、夏でも冬でも基本洗濯物は毎日手洗い、シーツなど大きいものだけは洗濯屋にお願いしていました。(あの、洗濯機が家に来た日の感動は今でも鮮明に覚えています・・・。)

そんな中に、洗濯屋と似たような風貌で、日本語名がついているお店が存在します。しかも、ひとつふたつではなく。

それらのお店は洗濯屋ではなく、クリーニング店。(Tintoreria)
Google mapで現在地周辺を検索してみると、こんな店名が出てきました。

Tintoreriaトーキョー、コウベ、オキナワ、カブキ、サクラ、ケイコ・・・まだまだ出ます。

実はこれらのお店、かつてアルゼンチンの日系移民の方々が開業し、経営されていたお店なのです。

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(近所にあるクリーニング屋、Tintoreria Japon / 筆者撮影)

街のニーズにぴったりはまった商売

ブエノスアイレス市に初めて日本人がクリーニング屋を開いたのが1912年。

最初に始めたのは二人の女性だったそうです。彼女たちは夢を追い求め日本からブラジルへ渡りましたが、挫折してアルゼンチンにやってきて、家事手伝いなどをして生活していました。

高度な専門技術や大きな設備投資がなくても開業でき、また高いスペイン語能力も必要とせず接客できることから、市内だけでなく地方都市へも日本人経営のお店が徐々に増えていきました。また、当時の街にはあまりなく、人々にとって必要とされていたサービスでした。街の中心地にある重要な劇場の向かいにあったクリーニング屋も、その名も"Nueva Nipon"(ニュー・ニッポン)。

その多くは家族経営で、在アルゼンチン日本大使館の調査(1953年)によると、なんと692の家族がクリーニング屋を営んでいたそうです。

その丁寧できめ細かい仕事ぶりはすぐに街の人たちの中に良い噂として広まっていき、アルゼンチンでの日系社会への信頼を築く礎になったとも言われています。

残念ながら、今街に残る日本名のお店は、「元・日本人経営」であることも多く、当時開業された日系移民の方の関係者が継いで営業しているお店は数少なくなってしまっていると聞きます。

かつての評判のよさから、店の看板はそのままにして、新しい人が居抜きで洗濯屋やクリーニング屋をやっているそうなのです。

また、昔の街行く人の写真などを見ると、スーツやドレスなどで着飾りおめかしして歩く人の姿が多くありますが、現代はドレスコードのあるような場所も一部の人だけのものです。

「大事な洋服をクリーニングに出す」という習慣は、現代のアルゼンチン人にとってはあまりないようにも思います。

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(クリーニング屋から小料理屋に変身したお店もあります。筆者撮影)

その他のかつての日系移民の方々が営まれていた主な仕事は、野菜・花卉栽培、またカフェ経営をしていた家族も多かったそうです。

日系コミュニティによる花卉栽培は現在においても有名で、ブエノスアイレスの郊外にあるエスコバール市というところを中心に脈々と続いています。ここは現在「花の都」と呼ばれ、毎年10月には大きな花祭りが開催されています。

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(Photo: エスコバール花祭り公式サイトより https://www.fiestadelaflor.org.ar/info)

ブエノスアイレスにある日本庭園を造ったのは・・・

日系移民の方々がアルゼンチンに残したものとしてもうひとつ挙げるべきものが、ブエノスアイレスにある日本庭園。(Jardin Japones) こちらは天皇皇后両陛下のアルゼンチン訪問を記念して1967年に日本人移民からブエノスアイレス市に寄贈されたものです。

実はここ、日本国外に存在する日本庭園としては一番大きな規模を持つのだそう。

入場しなくても外から見ることの出来る赤い太鼓橋がこの庭園のシンボルで、錦鯉の泳ぐ池や丁寧に整えられた松など日本を感じることが出来ます。また春の桜の時期は特別イベントなども開催されているようです。週末になると入るまでに1時間待ち...なんていうことも普通で、家族連れ、カップルなどでも、様々な人たちが気軽に訪れる、街の人気スポットとなっています。

最初の日本人が移民としてアルゼンチンに着いたのが1886年、長い歴史を持ちます。
はっきりした数は出ていないながら、現在アルゼンチンに住む日系移民の子孫の数は65000人以上と言われています。沖縄県出身者が占める割合が非常に大きいのも特徴で、街の中心部近くにある「セントロ・オキナウェンセ」という大きな沖縄県人会館には、日本食レストランがあり剣道の練習会など様々な活動が行われています。アルゼンチン人も多くその活動に参加しており、誰に対しても扉は大きく開かれています。

2001年、アルゼンチンアーティストによりTHE BOOMの「島唄」が日本語でカバーされ、アルゼンチン国内で大ヒットを記録したこともありました。

そして現在の日系コミュニティ

現在この街に暮らす日系3世、4世の人々は日本語は喋れないという人がほとんど。アルゼンチン社会の中に溶け込んでおり、かつてのクリーニング屋のような日系移民のメジャーな職業というものもありません。

私はあまり日系コミュニティとは縁がなく知り合いも少ないのですが、出会う人は物腰柔らかで、日本語は扱わないながらも丁寧に喋る人が多いような気がします。

彼らはアルゼンチンに生まれ、ブエノスアイレス弁を使いこなし、この国の習慣の中で育ったアルゼンチン人。それでも、「まだ日本に行った事はない」と言いながら、日本の文化を勉強し、日本人としてのアイデンティティを大事にしている人も少なくないのです。

また、このパンデミック下で、この街に日本食を扱うお店も増えました。何か美味しい日本食が食べたい、と思うと、そのオプションは高級日本料理店か、はたまたデリバリーの寿司ロールか??・・・くらいしかなかった数年前から一転、今では探すとちゃんと満足できる美味しいお店も数多く見つけることが出来ます。

寿司創作レストラン、アジア各国の料理の屋台が並んでいるような店内の居酒屋、ラーメン屋、抹茶カフェ、たいやき屋・・・味やメニューも追求されていて、店内の雰囲気も日本らしい。また行きたくなる、人にも勧めたくなるようなお店ばかりです。

そしてこれらの近年出現し始めたお店、日本語を喋らない日系3世の人たちが経営しているところが多いのです。そして、ターゲットとしているお客さんはもちろん日本人だけに限りません。

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(1か月先まで予約がいっぱいの、カウンターで頂く創作寿司は「Omakase」スタイル。日系3世の大将がタトゥーのがっつり入った腕で握るお寿司は、繊細なデコレーションで彩られていました。)

親日家の多い国アルゼンチン。この国では日系の人たちにとってだけではなく、日本の文化は広く知れ渡っています。70年代頃から今まで、テレビで日本のアニメが放送され続けていることも驚きでした。アニメだけでなく、食や、マーシャルアーツなどに興味を持つ人も多く、個人的にはこちらに来てから新しい日本を発見することも少なくありません。日本とアルゼンチン、真反対に位置していながらこのように大事にされていることをとても嬉しく思います。(ガッカリしない日本食レストランが増えるのもとっても嬉しいです・・!)

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(街の中に突如現れる山手線原宿駅。この日は丁度閉まっていましたが、お昼はカフェ、夜は居酒屋スタイルで経営しているようです。筆者撮影)

自分の意思で、ひとりこの地に住むことを決めた私は移民というよりは「移住者」だと思っていますが、日本人だというと皆親切にしてくれます。それはかつての日系移民の方々のご苦労やこの街で築いてきた信頼があってこそのことで、今この国に腰を据える日本人皆の共通認識のように思います。私もこの国に住む日本人のひとりとして恥じないように生きていけたらと思っています。

 

Profile

著者プロフィール
西原なつき

バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。

Webサイト:Mi bandoneon y yo

Instagram :@natsuki_nishihara

Twitter:@bandoneona

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