World Voice

トルコから贈る千夜一夜物語

木村菜穂子|トルコ

ウクライナ戦争の陰に隠れてひっそりと 12 年目を迎えたシリア内戦

i-Stock シリアの国旗を掲げる人々

3 月 15 日はシリアで初めて反政府デモが確認された日でした。2011 年のことです。いわゆる「アラブの春」は 2010 年の 12 月にチュニジアで始まり、シリアにデモが普及したのはそれから数か月後のこと。なぜこの日付を覚えているかというと、当時私はレバノンに住んでおり、自身のブログの中でヨルダン・シリア・レバノンなどいわゆる Levant エリアの情報を常時アップしていたからです。

その数日後に私はツアーのアテンドの仕事でシリア入りしました。その頃にはデモ参加者がすでに数千人規模に膨れ上がっていました。とはいえデモはまだ南部のダラアに限られた局所的なもので、当のシリア人ですらデモが起きていることに驚いている状況でした。誰もがすぐに終わると思っていました。

私もその時はこれが最後のシリア入りになるとは夢にも思わず...。ダマスカスからツアーを始め、マアルーラ村、ホムスのクラック・デ・シュバリエを経由してアレッポへ。あの美しいシリアの姿をこれからもずっと見れるであろうと信じ込んでいました。

iStock-147696516.jpgi-Stock: ホムスにあるクラック・デ・シュバリエ。アラビアのロレンスをして「世界で最も保存状態がよく、最も美しい城」といわしめたこのお城は、2006 年に世界遺産に登録されました。

その後、3 月 25 日には政府側がデモ参加者に発砲しただの死傷者が出ただの不穏なニュースが聞かれるようになりました。それでもまだまだ大半のシリア人が楽観的だったのがこの頃。

ところでこの時点で、シリアのデモにはエジプトの民主化デモなどとはまた一味違った怪しげな面も見え隠れしていました。シリアのアサド大統領は、民衆に向かって演説を行った初めの時から「このデモは外国勢力の工作によるもので、今こそシリア国民の団結と一致が試されている」というようなことを主張していました。

そんな矢先、アメリカのワシントン・ポスト紙で明らかになった事実がありました。2011 年 4 月 17 日の記事です。それは実際にアメリカがシリアの反体制派を資金援助しているという事実。ブッシュ大統領の時代に始まったこの資金援助、オバマ大統領の代になっても続けられていたとのこと。少なくともシリアのデモが始まる少し前 (2010 年の 9 月) までは。米国務省は 2006 年から総額 六百万ドル(当時のレートで約 4 億 9000 万円)規模の資金援助をシリア反体制派にしていたということです。

シリアでのデモは、2011 年 6 月頃には収拾がつかなくなり始めました。同じ年の 9 月頃には外国人がシリアから退去し始めました。シリア情勢はどんどん悪化し、2012 年に入るころには一般市民の命が危ぶまれるほどに。そうこうするうちにイスラム国が台頭します。こうした経緯を経てシリアのデモは血なまぐさい内戦へと発展し、それから丸 11 年が経った現在も国内は混とんとしています。この 3 月で 12 年目。シリア国外に逃れたシリア人の大半が現実的に見てシリアには帰れないであろうと考えています。

アラブ世界はもともと部族社会。ですから、家族・親族・部族という小さな単位では結束できるものの、国民としての結束は非常に弱い。内戦はその弱さを露呈しました。内戦で植え付けられた不信感や傷跡は到底ぬぐえるものではなく、アラブ同士が疑心暗鬼になっています。シリアには現在戦闘がなくて落ち着いているエリアが多々あるものの、戻ったらあらぬ罪を着せられていつ何時逮捕されるか分からない、誰にどこで誘拐されるか分からない、殺されるかもしれない...難民となって国を離れたシリア人が同国民に抱くこのような不安感は非常に根強いです。

今回のウクライナ戦争でもウクライナ国内に送り込まれた工作員の摘発に力が入れられているようです。こうした工作員は味方になりすまして潜伏します。こうして植え付けられていく互いへの不信感は社会に壊滅的な影響を与えると思います。シリアには他の国から工作員が送り込まれているわけではないのでウクライナとは状況が異なると思いますが、不信感という目に見えない敵が存在するという点では共通していると思います。この見えない敵は、戦争が終わったからいなくなるものではありません。むしろその後も社会をむしばみ、復興を妨げます。

内戦 12 年目を迎えたシリア人の今

ロシアが戦闘で経験を積んだシリア人を徴兵しているというニュースがたびたび流れています。プーチン大統領によると、こうしたシリア人戦闘員は自発的に、つまりお給料などの見返りを求めずにウクライナでロシア側について戦う Volunteer Fighter (ボランティアの戦闘員) だと説明されています。

しかし現実的に考えて、お金の見返りがないのに戦いに参加するシリア人が実際どれくらいいるのか疑問です。私が読んだアラビア語の記事ではさらに詳細が報告されていましたのでご紹介したいと思います。

記事によると、すでに 4 万人が対ウクライナ戦に登録済み。ほとんどがシリア政権に近い人物 (軍関係者など) だそうです。シリア軍の通常の月給は 15 ドルから 35 ドルですが、ロシアは 1,100 ドル相当の月給を約束しています。戦いで負傷した場合は 7,700 ドル、戦死した場合は家族に 16,500 ドルが支払われるということです。登録した 4 万人のうち、2 万 2 千人は既にロシアにより承認されているようです。この戦闘員がすでにウクライナ入りしているかどうかは確かめられていません。

情報が交錯していますので、一体何が正しいのかを確かめることは非常に困難ですが、ガジアンテプの Facebook 上のシリア人コミュニティのページでも、トルコに住むシリア人戦闘員のリクルートが行われていました(こちらをご参照ください)。なお、このリクルートの投稿はガジアンテプのシリア人コミュニティからは現在は削除されています。

この場合の料金設定は少し異なっていて、7 か月の任務で 100 万円が提示されています。リクルートの対象者は戦いの経験があるシリア人たち。ただしお給料が支払われるのは任務終了後。これに対しては様々なコメントが寄せられていました。個人的には、まともな意見が多かったので少しホッとしました。例えば「こんな嘘は信じるな」「金の亡者になるな」「7 か月後にはもう戦死していて、そのお金なんて手にできない」「自分たちの国が復興していないのにウクライナで戦いに参加する意義とは?」「そもそもイスラム教では人殺しは認められていない」「こんな人身売買をしている奴に神の裁きがあるように」などなど。

シリア難民を一番多く受け入れているトルコでは、昨今の通貨危機と経済不況により、中流階級が貧困層に転落しているといわれています。トルコ人でさえそうなのですから、社会のさらに弱者であるシリア難民たちの生活は苦しくなるばかり。そんなときに、「大金」がもらえる「おいしい話」に思わず誘惑されてしまう人たちがいても不思議ではありません。それでも、命と引き換えにしか入ってこないお金には何の価値もありません。

シリアの今後の展望は?

ひっそりと 12 年目を迎えたシリアの内戦。デモが始まった当時は「アラブの春」とうたわれましたが、民主化はアラブ世界に根付いていませんし、今後も根付くことはないと思います。

「アラブの春」が成し遂げたこと...。どう見ても、プラスよりマイナスのほうが多かったことは確かですが、強いて言うなら、「優秀な人材を海外に放出すること」でしょうか。若い世代の多くは渡った先で言語を習得し、そこで就職し、その国を盛り上げていく。それこそ、ヨーロッパ特にドイツがシリア難民 (特に若者) を積極的に受け入れた理由です。

いずれにしても、起きてしまったことは仕方がない。時をさかのぼって過去に戻ることはできません。シリア難民が今後も逞しく生きて行ってくれることを願います。私はトルコでシリア難民と日常的に接していますので、今後も彼らと一緒に泣いたり笑ったり、人生のある時期を共有して行ければと思っています。

 

Profile

著者プロフィール
木村菜穂子

中東在住歴17年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半、トルコに7年間滞在した後、現在はエジプトに拠点を移して1年目。ヨルダン・レバノンで習得したアラビア語(Levantine Arabic)に加えてエジプト方言の習得に励む日々。そろそろ中東は卒業しなければと友達にからかわれながら、なお中東にどっぷり漬かっている。

公式HP:https://picturesque-jordan.com

ブログ:月の砂漠―ヨルダンからA Wanderer in Wonderland-大和撫子の中東放浪記

Eメール:naoko_kimura[at]picturesque-jordan.com

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