トルコから贈る千夜一夜物語
「裸の付き合い」はトルコにもある?トルコのお風呂文化
日本独特の文化の筆頭に挙げられるのが温泉。海外に温泉がないわけではありませんが、老いも若きも裸になる日本の温泉文化は、これに馴染みがない外国人にとってはギョッとするような光景かもしれません。
「裸の付き合い」などという言葉があるのも温泉の文化がある日本ならでは。日本人は感情の表現が控えめで自分の気持ちをオープンに語ることがないにも関わらず、人前で素っ裸になって温泉には入れるというこの矛盾は一体何なんだと不思議に思う外国人もいることでしょう。日本人ほどお風呂が好きな国民はないともいわれています。
海外在住の日本人が恋しくなるものの 1 つに、このお風呂の習慣が挙げられるかもしれません。中東に限らず海外の多くの場所では、そもそもバスタブなどというものがない家が多いかもしれません。となると寒い冬もシャワーだけ。しかも国によっては熱いお湯がいつでも出るわけではないので、シャワーでさえもごく短く...なんてこともあり得ます。こうなるとあのお風呂の文化がどうにもこうにも懐かしくなります。体の芯まであったまりたい...凝った体をお湯でほぐしたい...私自身は、海外生活のほとんどの期間そんな叶わぬ夢を見続けるのが常でした。
トルコで出会った「お風呂」の存在
ところがトルコ南東部のガジアンテプに移動して、思わぬ仕方で私の長年の夢がかなうことになるのです。それは「トルコ風呂」の存在。トルコ風呂とは何か? については後から詳述するとして、まずこの名称ですがトルコ語では「Türk Hamamı (テュルク・ハマム)」と呼ばれます。英語では「Turkish Bath (ターキッシュ・バス)」とか「Turkish Hammam (ターキッシュ・ハンマーム)」などといわれます。Turkish Bath はトルコに限らず、中東のいろいろな場所で見かけます。4,5星のホテルでこの Turkish Bath をジムと併設しているようなところも多いです。
ただ、日本では「トルコ風呂」と聞くといわゆる「性風俗」を連想する方もおられるかもしれません。実際のトルコハマムにはいかがわしい雰囲気などは一切なく、日本でいう公衆浴場のことを指しています。ハマムはトルコを代表する伝統であり文化です。ところが日本でこの名称が間違った意味で使われていたため、1984 年にトルコ大使館および在日トルコ人がその名称を使わないでほしいという訴えを起こしました。それ以降「トルコ風呂」という名称は使われなくなり、「ソープランド」という呼び名に切り替わることになりました。この記事では、トルコ風呂を「ハマム」と呼ぶことにします。
さて、トルコ語の「Hamamı (ハマム)」の語源は「温める」や「熱する」を意味するアラビア語の動詞「ハンマ」に由来します。ちなみに現在のアラビア語ではハンマームといえば、トイレのことを主に差しますが、トルコ語では「蒸し風呂」を意味します。ハマムには、日本のお風呂のような湯船はありません。部屋には、洗面台のようなものが幾つか備え付けられており、大理石のベンチが壁に沿ってぐるっと作られています。部屋全体が加熱されており、汗がブワッと噴き出てきますので、石鹸と洗面器ですくった水 (またはお湯) で身体をきれいに洗います。
実はトルコのハマムは、ローマの公衆浴場文化を引き継いだものです。清潔を重んじるイスラムの教えとローマの浴場の文化が合致したのだと思います。とはいえ先に書いたように、お湯を張ったプールはトルコのハマムにはありません。
ハマムのような蒸し風呂の利点は、部屋全体が温められている点。伝統的なハマムには、脱衣所 (休憩所を兼ねる) のほかに 3 つの部屋が作られています。脱衣所→低温ルーム→中温ルーム→高温ルームといった具合です。このため、急な温度差がありません。日本では、寒い冬のお風呂で心筋梗塞になってしまうなんていうニュースも時々報道されます。これは、脱衣所と浴室が寒く、温度差が激しいため。でもハマムは徐々に部屋が暖かくなるように作られています。
一番熱い高温ルームの温度は 50 度近くになることもあります。ここで汗をしっかりと出し、体をきれいに洗います。その後、中温ルームで垢すりなどのマッサージ(有料)を受けることもできます。体をきれいにした後は、高温ルームから低温ルームまでを行ったり来たりして、長々と時間を過ごすのがトルコ風。
ちなみにサウナとハマムの違いですが、サウナは高温で乾燥しています。80 度から 100 度ほどがサウナ内の一般的な温度だそうです。対してハマムは、湿度が非常に高いです。室内の温度は 40 度から 50 度くらいで、湿度は 100% です。
ハマムの歴史について
ここでハマムの歴史を軽くご紹介したいと思います。ハマムが、トルコの文化として定着し始めたのはオスマン帝国時代です。
ただし、イスラム社会で最初期の浴場として知られるのは、8 世紀頃に作られたウマイヤ朝時代のアムラ城でヨルダン東部にあります。ヨルダンびいきの私なので、このアムラ城についても少し書きたいと思います。
この遺跡はもともとはお城を含む広大な建物群だったようですが、今残っているのは浴場などの一部の施設だけ。とてもコンパクトな遺跡です。このアムラ城は、ウマイヤ朝で後にワリード 2 世となる王子ワリードが建てたといわれています。表向きは征服した地の警戒のために建てられたといわれていますが、実際には厳格なイスラム教徒の目を逃れてリラックスするために建てられた娯楽施設だったようです。浴場には保存状態が良いフレスコ画が残されていますが、ビザンチン美術の影響を受けた人物像や裸の女性までが描かれており、何ともイスラムらしからぬ雰囲気。砂漠の中にポツンと建てられており、ここで王族は心行くまで快楽を楽しんだのでしょう。
さて、15-17 世紀ごろにオスマン帝国の各地にハマムが建設されました。もちろんそれ以前にもハマムは存在していましたが、主に宗教的な理由で使われていたようです。モスクの横に建てられ、礼拝の前に身を清める目的で使われていました。ですから、トルコ独特のハマムの姿に進化したのは 15 世紀以降だと思われます。「トルコ独特のハマムの姿」というのは、社交と情報収集の場としてのハマムの姿です。
男性はもちろんのこと、とりわけ自由に外出することを制限されてきた女性たちにとっては、素顔をさらして集うことができ、女性同士でくつろいで会話を楽しむことのできるハマムは貴重な憩いの場となりました。作った料理をみんなで食べたりしながら楽しく過ごす場所であると共に、お母さんたちが、自分の息子の彼女を探しに行くというような実用的な機能も兼ねていたようです。また、婚約パーティなどのパーティが催されたり、結婚式前夜の男性および女性が親族や友達に囲まれて身づくろいをしたりする儀礼の場としても使われました。ただし、男性と女性が一緒の空間でハマムを利用することはもちろんありません。
ガジアンテプはハマムでとりわけ有名な街
特にガジアンテプでは、ハマムの文化が発達しました。ガジアンテプには、「ハマム博物館」まであります。前述のような特別な集まり以外にも、友達や隣人を呼び集めて一緒にハマムを楽しむというのが市民生活の一部であり、娯楽の一部だったようです。女性たちは、前日から丹念に食事の準備をしました。生まれて 40 日後の赤ちゃんをハマムに連れて行くという習慣もあったようです。赤ちゃんを塩で丹念に洗い、洗面器の水を 40 回かけるというような儀式だったようです。
ハマム博物館には、当時の慣習についてたくさんの情報があり、当時使われていたハマムセットなども公開されていて非常に興味深いです。なおハマムは室内の装飾やデコレーションの点でも見ごたえがあります。
各家にシャワーがある現在ではハマムの文化は廃れ、イスタンブールなどの大都市ではハマムは主にツーリスト向けの施設になっています。しかし、ガジアンテプでは現在も、ハマムが社交の場として利用されています。脱衣所と休憩所を兼ねたスペースで自宅から持ち込んだ食事をしているトルコ人を沢山見かけます。こうして昔と同じように長々と時間を過ごすのがガジアンテプ流。
ハマム文化にはまる
私がこのハマムの習慣に触れたのは、トルコに来て 5 年ほどしてから。ガジアンテプで通っていたジムにハマムが併設されていたので、恐る恐る利用してみたのが始まり。それからハマってしまいました。ここで「裸の付き合い」を目にすることになります。通常のハマムは一応水着を着て利用します。でも、水着を脱いでしまうトルコ人も多いのです。
最初の頃は、主にトルコ人のおばちゃんたちが平気で全裸になっているのを見て衝撃を受けました。しかも真っ裸のおばちゃんが恥ずかしげもなく近づいてきて、「背中の垢すりお願い」なんて頼んでくるものですから、さらにショックが多かったです。ある時には「背中洗ってあげようか」などと私も水着を脱がされそうになりましたが、こちらは丁重にお断りしました。でもよく観察すると、トルコ人は初対面同士でも背中を洗い合ったりするのが普通らしい。日本の「裸の付き合い」さながら (いや、それ以上?) の光景です。
水泳をした後にハマムでじっくり体を温める...。ガジアンテプで過ごした数年間はこのハマムのお陰で、ゆっくりお風呂に入りたいという欲求がすっかり満たされました。またこのハマムのお陰で自宅のシャワーをほとんど使うことがなく、かくしてトルコで高騰するガス代を最小限に抑えることができたという経済効果もありました。
そんなディープなトルコのハマム文化にどっぷり漬かっていたので、ガジアンテプを離れてエジプトに移動するときに一番悩んだのが「今後ハマムがない生活に耐えられるか?」という点です。そこで、カイロに来てすぐにしたことは、水泳用のプールとハマムのような施設がないかを探すこと。運よく自宅からそれほど遠くない場所にこれらの施設を備えたジムが見つかり、すぐに年間会員になりました。
ただカイロのジムでは、垢すりを申し込まなければハマムは使えません (つまり有料)。自分たちで自由に使えるような本当のハマムではないのです。とはいえ、このジムにはジャクジーやミストサウナがあるので、ここでたっぷりと汗をかき、じっくり体をほぐしてからシャワー室で自分で垢すり...という方法で、不便なくカイロ流「ハマム生活」を送ることができています。
「お風呂」の習慣は健康の秘訣でもあります。日本から遠く離れた中東でもこの習慣を一応保てていることに感謝。そしてトルコに来られるツーリストの方がおられれば、ぜひ伝統的なハマムを本場でご体験いただければと思っています。
著者プロフィール
- 木村菜穂子
中東在住歴17年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半、トルコに7年間滞在した後、現在はエジプトに拠点を移して1年目。ヨルダン・レバノンで習得したアラビア語(Levantine Arabic)に加えてエジプト方言の習得に励む日々。そろそろ中東は卒業しなければと友達にからかわれながら、なお中東にどっぷり漬かっている。
公式HP:https://picturesque-jordan.com