イタリアの緑のこころ
3年ぶりの家の祝福 ふだんの春が戻りつつあるイタリア
今年の復活祭は4月9日です。イタリアのカトリック教会では、例年復活祭の前に、教区教会の神父が信者の家を訪ね、家を祝福して回る慣習があります。わたしの義家族が属する教区は、神父が高齢なので、近年は代わりに修道士の方がうちに来られることが多かったのですが、最近になってその高齢の神父の補佐を務める若い神父も教区に配属され、今年はその若い神父が我が家に来て、わたしたちといっしょに祈りを唱え、家を祝福してくれました。
かつては郊外や田舎の小村で過疎化が進んでいたために、近年では、神父を志す人、神父となる人が年々減っているために、ペルージャでは複数の教区が統合されて、例えばそれまでは三つ、四つの教区に分かれていて、それぞれの教区に神父がいたのに、統合の結果、複数の教区を一人の神父が担当するということが増えてきました。
結果として、それぞれの教区教会が管轄する地域が広く、家庭が多くなり、わたしたちの、いえ、わたしはカトリック教徒ではないので、わたしの義家族の属する教区教会でも、その多数の家を復活祭までに回るために、2月から訪問の予定を組み、我が家にも2月下旬に祝福をしに来てくれました。
そうして、例年のように、家族の祝福を祈る言葉と絵がかかれたカード、ご絵をいただきました。2020年3月に、新型コロナウイルス感染拡大のために、イタリア全土がロックダウンとなって以来、以後少しずつ規制が緩やかになっていったものの、冬になると感染者が増えて春までは規制が厳しく感染の恐れが高いという状況が続いていたために、昨年の春までは、神父が家を祝福しての訪問も、感染を防ぐために中止されていました。
今年は3年ぶりに、神父や家族の皆と共に家の祝福の祈りを捧げることができて、どこか感慨深いものがありました。
昨年の3月下旬に亡くなった義母は、発疹があったのに、感染下であったこともあって、長い間家族の皆にも言わず、診療を受けることもなく過ごしてしまったために、がんが進行してしまったのですが、不幸中の幸いで、その頃にはもう規制が緩やかになり、亡くなる前に会っておきたい人とは会って話をすることができ、また、亡くなった日には家に、葬儀の日には教会に、大勢の人が訪ねてきてくれることができる状況でした。とは言え、我が家に弔いに来てくださった人も、教会でも、皆がマスクを装着していました。そうして、家族や近所に暮らす親戚と共に、9日にわたって、毎晩ロザリオの祈りを唱えたのですが、この祈りの会でも、初めのうちは全員がマスクをしていたのに、最後の数日は、マスクをする人の方が少ない状況になっていました。
義母が亡くなってから1年後の命日だった先日は、同じように死後ちょうど1年を迎える方と共に、教区教会で神父にミサを執り行ってもらいました。そのとき、高齢の方が多く、また礼拝堂に大勢が集っていたと言うのに、マスクをしている人を、わたしの他には一人しか見かけなかったので驚きました。
今では、病院などマスクの装着が現在も義務づけられている場所は別として、スーパーに買い物に行っても、映画館で映画を見ても、あるいは、レストランで食事をしても、ほとんどの人がマスクをすることなく、また大勢が互いの距離など気にせず、談笑をするようになっています。教会でもまた、かつては1mの距離を置いて座らなければいけなかったのが、以前のように長椅子に皆がぎっしり並べるようになりました。
とは言え、以前は日曜には必ず教会のミサに参列していた義父は、今では教会に出向いてミサに参加するのは、何か特別な儀式などがあるときだけで、テレビで放映されるミサの中継を通して参列するようになり、以前に戻ったわけではないことは、暮らしの端々で感じています。
イタリア全国の感染状況は、3月24日から30日までの1週間に、新規感染者が21,883人、死者が156人で、直前の週がそれぞれ22,256人、183人でしたから、最近は着実に減少しつつあります。このまま穏やかに今年を過ごしていくことができるよう願っています。
著者プロフィール
- 石井直子
イタリア、ペルージャ在住の日本語教師・通訳。山や湖など自然に親しみ、歩くのが好きです。高校国語教師の職を辞し、イタリアに語学留学。イタリアの大学と大学院で、外国語としてのイタリア語教育法を専攻し卒業。現在は日本語を教えるほか、商談や観光などの通訳、イタリア語の授業、記事の執筆などの仕事もしています。
ブログ:イタリア写真草子 Fotoblog da Perugia
Twitter:@naoko_perugia