イタリアの緑のこころ
サンレモにベニーニ旋風 平和と自由を守る憲法を愛そう
今年は2月初めに開催されたイタリアの歌の祭典、サンレモ音楽祭で、わたしの心に一番残ったのは歌ではなく、初日の最初のゲストだったロベルト・ベニーニが、イタリア共和国憲法について熱く語った言葉でした。イタリア憲法の施行から75周年という記念の年で、サンレモ音楽祭に初めて大統領が出席し、司会のあいさつのあとにすぐベニーニが憲法を語ったのですが、まずは皆を笑いの渦に巻き込んでから、憲法が起草されたときの様子やその精神、主要な条文を説き、聴衆を話に引き込んで感動させるその語りに、感嘆しました。
ベニーニは冒頭で、マッタレッラ大統領に「大統領は再任ですよね。アマデウスはサンレモの司会を務めるのがもう4回目で、5回目もねらっているというけれど、それって違憲だと思いませんか」、「サンレモは夜遅くまで続いて長いですから、最後までいる必要はありませんよ。」と語りかけます。大統領の顔に笑みが浮かび、会場もどっと湧きます。
かと思えば、イタリア憲法は「信条も理想もさまざまだった憲法制定議会議員たちが協力してつくりあげた芸術作品です」と語って、さりげなく、その「憲法制定の父と母たちの中にはマッタレッラ大統領の父君もいらっしゃいました。ですから、憲法は大統領のお姉さんですね。」と、大統領とその父君に敬意を表しつつ、ユーモアを忘れません。
「イタリアは戦争を否認する......世界の他の国が皆この条文を採用したら、地上から戦争がなくなって、他の国を侵略する国なんて出てきたりしないでしょうに。でも、他の国はこの条文は採用せず、書きもしませんでした。わたしたちイタリア人は自分たちの憲法にこの条文を書いたのです。憲法制定の父と母は並外れてすばらしい人たちだったからです。」
ちなみに、イタリア共和国憲法は、イタリア上院のサイトに、その全文の日本語訳があります。憲法の日本語訳へのリンクはこちらです。
そうして、ベニーニは話を続けます。自分が最も好きな条文は第21条です、と。何人も、自己の思想を、自らの言論、書面およびその他のあらゆる普及手段により、自由に表明する権利を持つ」とする第21条が、「最も重要な条文で、人間のあらゆる自由の要であり、それを忘れてはいけません」と語ります。
そして、「なぜなら、この憲法以前、20年に及んだファシズム政権下では、自由に考えることができなかったからです。」と、思想も言論も自由ではなかった時代を、観客が自らその世界に身に置いて、真に迫ったものと感じられるように、まざまざと描写していきます。
「この憲法が制定される前には......皆さんがお友達とピザを、あるいは家で親戚と夕食を食べているときに、暴力的な偵察隊がやって来て、ドアを開き、皆さんの兄弟姉妹や恋人を連れ去ってしまいかねなかったのです。そうして、実際に何度もそういうことが起こったのです。政権の意向とは一致しないことを自由に口にした、自分の頭で考えたからという理由でです。連れ去られた人々は殴られ、時に姿を消してしまって、もう2度と会うことができない可能性もあったのです。ですから、この第21条のおかげで、わたしたちは恐怖から解放されたのです。」
ベニーニの話は続いて、現代においてもなお自由に考えることが許されない国々、自由な考えを持ち顔や髪を人に見せることができない国に及びます。そして、だからこそ憲法の第21条のおかげで、何人も自己の思想を自由に表明する権利を持つ土地に暮らせることがいかにすばらしいことであるかを語ります。
そして、観客の一人ひとりの心に訴えます。
「未来にとって何か役に立つことをするための唯一の方法は、過去を常に心に留めておくこと、今わたしたちが持つすべてのものが、今この瞬間にも奪われてしまいかねないことを忘れずにいることです。憲法制定の父と母は、そのことをよく知っていたので、2度と自由が奪われることがないようにと、この憲法を書いて、未来を生きるわたしたちと賭けをしたのです。」
ベニーニは話の最初の頃から、憲法が未来への夢だ、すばらしい芸術作品だと何度か語っていたのですが、一連の話を聞くことで、突発的で大げさに思われた言葉が実は確かな裏づけのあるものであること、ベニーニがそんなふうにとらえる理由が、わたしたちの胸にも迫ってきました。憲法が構想されたとき、起草されたときには、国が戦争を讃えて突入し思想の自由がなく恐怖に脅えて暮らさなければいけない日々がようやく終わったばかりという状況だったわけであり、イタリア共和国憲法は、書かれた当時には遠い目標に思われたであろう平和で自由な社会を実現しようという夢と理想を語っていたわけで、だからこそ芸術作品のように心を打ち、奮い立たせるものであったことでしょう。だからこそベニーニは、ようやく実現した平和と自由を守っていくためには、この憲法に心を寄せ、心を震わせ、先人たちの恩恵に感謝しながら、過去の過ちを忘れずに肝に銘じていく必要があると聴衆に訴えていたのでしょう。
ファシズム政権下の時代を忘れずに自由と平和を守っていこうと、そこにベニーニが主眼を置いて話したのは、極右政権が第一政党となった今だからこそ肝に銘じておく必要、市民の一人ひとりに伝えていく必要があると感じていたからかもしれません。
繰り返してはならぬ悲劇:強制収容所にとらわれたユダヤの人々が解放され、ようやく自由の身となった1945年1月27日のことです。この1月27日を、イタリアではGiorno della Memoria(直訳は「記憶の日、追憶の日」)と呼び、こうした恐ろしい悲劇が二度と繰り返されぬよう...https://t.co/65dnh73tua pic.twitter.com/7caMoyLH7I
-- Naoko Ishii (@naoko_perugia) January 27, 2021
映画、『ライフ・イズ・ビューティフル』で、愛する人と結ばれ、愛息子と3人で幸せに暮らしていた善良な男性が、ファシズム政権下でユダヤ人であるがゆえに、自由と幸せ、命を奪われる悲劇を、ユーモアと希望を交えて描き、そして主役を演じたベニーニの言葉だからこそ、「自由と平和の大切さと、その危うさを忘れずに守っていく必要」が、心に響きました。会場の皆も同じ気持ちだったことでしょう。熱い拍手がいつまでも続いていました。
著者プロフィール
- 石井直子
イタリア、ペルージャ在住の日本語教師・通訳。山や湖など自然に親しみ、歩くのが好きです。高校国語教師の職を辞し、イタリアに語学留学。イタリアの大学と大学院で、外国語としてのイタリア語教育法を専攻し卒業。現在は日本語を教えるほか、商談や観光などの通訳、イタリア語の授業、記事の執筆などの仕事もしています。
ブログ:イタリア写真草子 Fotoblog da Perugia
Twitter:@naoko_perugia