中東危機:シリアの沈黙、隠された動機と戦略
シリアのアサド大統領 (2019年) SANA/REUTERS
<中東の緊迫した政治情勢の中で、シリアの役割と立場はしばしば見過ごされがちだ。パレスチナのハマースによる「アクサーの大洪水」作戦とイスラエル軍の反応、隣国との関係が焦点を浴びる一方で、シリアはどのような立場を取っているのか......。シリアの動静と、パレスチナ・イスラエル情勢における影響を探る>
パレスチナのハマースによる「アクサーの大洪水」作戦が10月7日に開始され、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃が激しさを増すなか、隣国レバノンのヒズブッラーとの参戦やイランの干渉の可能性が取りざたされるようになっている。だが、イスラエルと国境を接し、同国と今も戦争状態にあるシリアの動静が、緊迫するパレスチナ・イスラエル情勢のなかで言及されることはほとんどない。シリアは考慮に値しない存在になってしまったのだろうか?
シリアの失われた失地としてのパレスチナ
「アクサーの大洪水」作戦に伴う中東情勢の悪化にシリアがどのような意味をもっているのかを考えるために、まずはシリアとパレスチナの関係を見ることから始めてみたい。
シリアとパレスチナの関係、あるいはシリアにとってのパレスチナを考えるうえで、「シリア」という言葉には少なくとも二つの意味があることに留意する必要がある。第1は、今日のシリア、すなわちシリア・アラブ共和国を意味し、第2は、近代以前にシリアと呼ばれていた領域、すなわち「歴史的シリア」、あるいは「大シリア」という意味である。第2の意味におけるシリアには、今日のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ・イスラエル、トルコ南部などが含まれる。
多くのシリア人(シリア・アラブ共和国の国民)の心情、ないしはメンタルマップは、「歴史的シリアの拡がり少なからず影を落としており、そこにおいて、パレスチナは「失われたシリアの失地(の一つ)」と捉えられている。こうした感情は、歴史的シリアに含まれているそれ以外の国々だけでなく、アラビア語を母語とするそれ以外のアラブ諸国においても、「分断されたアラブの祖国の失地(の一つ)」といった共有されている。
今回のイスラエル軍によるガザ地区への攻撃に対して、アラブ諸国のいたるところで、その国の政治的立場や、パレスチナやイスラエルとの関係の違いを越えて、抗議デモが発生しているのは、「アラブの大義」、「パレスチナの大義」などと呼ばれるこうした信念と無関係ではない。
戦争状態にあるシリアとイスラエル
これに対して、シリアとイスラエルの関係は終始対立によって彩られてきた。両国は、イスラエルが建国宣言した1947年以来、現在もなお戦争状態にある。
1967年に勃発した第三次中東戦争によって、シリアはゴラン高原を占領された。この戦争では、エジプトがシナイ半島およびガザ地区、ヨルダンが東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区、レバノンがシャブアー農場をイスラエル領に占領された。だが、これらの被占領地のなかで、ゴラン高原だけが1981年にイスラエルに併合された。国際社会はこの併合に長らく異議を唱えているが、米国は2019年、ゴラン高原に対するイスラエルの主権を承認している。
1991年のマドリード中東国際会議の開催をもって開始された中東和平交渉においては、「土地と平和の交換」の原則のもと、パレスチナ解放機構(PLO)とヨルダンがイスラエルとの和平に応じた。また、これに先立って、1979年にエジプトもイスラエルと和平条約を交わした。だが、シリア(そして当時、シリアの実質的な属国だったレバノン)は、すべての占領地からのイスラエルの即時完全撤退を求めて、イスラエルとの和平に応じることはなかった。こうした姿勢ゆえに、シリアは「アラブ人の敵意と拒否の姿勢をもっとも強固かつ深刻なかたちで体現する存在」と目された。
シリアとパレスチナ難民
イスラエル建国に伴う第一次中東戦争、イスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区を手中に収めた第三次中東戦争によって、多くのパレスチナ人が家を追われ、周辺諸国に難民として逃れることを余儀なくされた。シリアは、ヨルダン、レバノンとともに、こうしたパレスチナ人の受入国となった。
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によると、現在シリアには同機関が管理するパレスチナ難民キャンプが9つあり、そこに57万人以上が登録している。シリアにはこのほかにも、首都ダマスカス南部のヤルムーク地区(ヤルムーク・キャンプ)など、UNRWAの管理下になりパレスチナ人の集住地区(キャンプ)が6ヵ所あり、シリアに「アラブの春」が波及した2011年時点で、65万人あまりのパレスチナ人が暮らしているとされた。