維新を躍進させた、謎の「ボリュームゾーン」の正体
A Windfall Victory
吉村は歯切れのいい言葉で通行人の足を止める(6月28日、京都府)Photographs by Soichiro Koriyama for Newsweek Japan
<「自民党が大阪で何ができないのか」を突き詰め、足掛け10年で「大阪の利益代表」から全国区に躍り出た、日本維新の会。さらなる飛躍には「中道」をさらに取り込む政策と組織運営が必要>
昨年の衆院選に続き、参院選でも日本維新の会(維新)が議席数を大きく増やしそうだ──。衝撃的な安倍晋三元首相の銃撃事件が伝えられるまで、参院選の注目の1つは、維新だった(編集部注:選挙結果で維新は改選議席を12議席に倍増させ、参院で計21議席に)。
伸長を予測するニュースが流れるたびに、人々の反応は大きく3つに分かれていた。
第1に伸長を歓迎する熱烈な支持層、第2に熱烈な反対層、第3に可視化されにくいが確実に存在している「積極的に支持もしないが、だからといって拒否もしていない」層である。
大阪以外のエリアから維新という政党は謎めいて見える。時に自民党に接近し、核兵器について自民以上にタカ派的な発言が飛び出したかと思えば、「改革」を旗印に掲げ、自民も立憲民主党も批判する。
維新のキャッチフレーズ「身を切る改革」に賛同する人々の存在は分かりやすい。大阪都構想、維新が推し進めるカジノの大阪誘致などもってのほかという批判に共鳴する人々もSNSで多数観察することができる。
これら支持、不支持層は可視化されやすく、主張を並べたとしても、それは維新に対する感情レベルのぶつかり合いを記述するにすぎない。問いはこう変える必要がある。
すなわち、なぜ維新は伸びることになったのか? 鍵を握っているのは、第3の不可視なボリュームゾーンの存在である。
維新の選挙戦には2つの顔がある。「府政与党」の大阪と、第三極の野党として追う立場にある他の都市部の違いだ。前者を象徴していたのは、選挙戦1日目、大阪を代表する繁華街ミナミの一角、南海難波駅前での選挙戦第一声であったように思える。
6月22日午前10時半過ぎ──。維新代表で大阪市長、松井一郎は、盟友の元大阪府議にして「大阪維新の会」創立メンバー浅田均と、もう1人の候補者高木佳保里を応援するべく選挙カーの上に立った。その姿に維新の強みと弱みが交錯する。
浅田は京都大学出身で、スタンフォード大学への留学経験もある維新屈指の理論派として知られる。大阪都構想や、中央の意思決定に左右されないローカルパーティー(地域政党)を構想したのも浅田だ。
その半面、分かりやすく人々に語りかけ、仲間をまとめる能力には欠けるというのが周囲の見方だ。彼らがなぜ「大阪維新の会」結成に至ったのか。
話は2010年にさかのぼる。当時、自民党に所属していた松井と浅田は、大阪府議団の「反主流派」だった。04年には自民が推薦した現職知事、太田房江に公然と反旗を翻し、民主党を離党したばかりの江本孟紀の支援に回った。
背景にあったのは、同じ自民推薦の政治家であっても府と市で全く別の公約を掲げることがあるという大阪の事情だった。