「空疎ないら立ち」を解消する「政治回路」の不在
AN EXTREME IRRITATION
KIM KYUNG HOON-REUTERS
<テロにカタルシスを得たのは犯人だけ。政府や社会に対する市民の不満や閉塞感を受け止めるのは、本来であれば、野党の役目。しかし現状、その役割を十分に果たせていない。私たちはどうやって喪失感を克服するのか?>
7月8日の白昼、安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。投開票日を2日後に控えた参院選の最終盤、奈良市の大和西大寺駅前で応援演説を始めた安倍元首相に背後から近づいた男が「自家製銃」を発砲。振り向いた安倍氏に再び放たれた「銃弾」が致命傷を負わせた。
奈良県立医科大学附属病院に搬送されたときは既に心肺停止状態で、昭恵夫人が駆け付けた後の午後5時3分、死亡が確認された。選挙期間中の暗殺という突然の政治テロに、日本社会は大きな衝撃と深い悲しみに包まれている。令和日本における最大の政治的悲劇だ。
日本は銃器弾薬の所持が厳しく制限された「比較的安全」な社会であることが外国でも知られている。戦前の歴史をひもとけば、ハルビンの伊藤博文暗殺事件(1909年)や東京駅の原敬首相刺殺事件(1921年)、五・一五事件(1932年)や二・二六事件(1936年)がある。
しかし、戦後日本で首相・党首クラスの政治家が暗殺された例はまれで、東京・日比谷公会堂の浅沼稲次郎(社会党党首)暗殺事件(1960年)が想起されるくらいだ。令和の時代にこのような政治テロが発生すると想像していた者は、国の内外を問わず少なかっただろう。
殺人容疑で逮捕された山上徹也の犯行動機や思想信条の詳細はまだ不明だ。海上自衛隊に勤務していたとはいえ20年前から3年間だけ。宗教団体との関連で安倍元首相を襲撃したとも報じられているが、もし真実であるとすると、その発想の虚無性と短絡性は驚くばかりだ。
犯行前の様子が写り込んだ動画を見る限り、一国の首相経験者を暗殺しようとする者とは思えないほど落ち着いて見えるが、それと同時に「空疎ないら立ち」を募らせたような表情が見て取れる。