あのときニクソンが訪中しなければ、「中国の脅威」は生まれなかったのか?
THE VISIT 50 YEARS ON
ニクソン(中央)の訪中で得をしたのは?(1972年、万里の長城) CORBIS/GETTY IMAGES
<ニクソンと毛沢東の歴史的会談から50年、米中関係の進展で得をしたのは誰だった? いま、プーチンに同様の「冒険的外交」を仕掛けるのは有効か?>
中国は現在、アメリカに取って代わって世界最大の超大国になり得る唯一の国だ。そのため、今からちょうど50年前に、当時のニクソン米大統領の歴史的な訪中が実現しなければよかったと考えている米政府関係者は多いかもしれない。
ニクソンは1972年2月、中国の毛沢東主席と会談して米中関係正常化への道を開いた。それが中国の超大国化と地政学的脅威への成長を促したという歴史修正主義的な考えが広まっている。ニクソンの訪中は歴史的な失敗だったというのだ。
しかしこの議論は、ニクソンの決断とその後数十年にわたる米中関係の進展がアメリカにもたらした多大な利益を無視している。ニクソン訪中は冷戦のパワーバランスを変え、ソ連や当時アメリカと戦争中だった北ベトナムの戦略的判断に影響を与えた。72年5月に米ソは核軍縮に向けた初の戦略兵器制限条約(SALT I)を結び、翌年アメリカはベトナムから撤退した。
中国への積極的関与は、ほかにも長期的な地政学的・経済的メリットを生み出した。東アジアにおける劇的な緊張緩和は、同地域のアメリカの権益に対する中国の脅威を和らげ、米中の対ソ疑似同盟的な関係は、アメリカの冷戦での勝利につながった。
経済的には、中国からの安価な輸入品はアメリカ国内のインフレ抑制に役立った。米企業は対中輸出を急拡大させ、次々と中国市場に進出した。中国からの輸入品はアメリカの製造業に打撃を与えたが、中国への関与が経済的果実を生んだことは確かだ。
たしかに中国が得た利益の方が大きいが
米中関係から経済的利益を得たのはアメリカより中国だった。だがそれは、鄧小平が78年に始めた改革開放政策に負うところが大きい。中国の奇跡的な経済成長をニクソンと毛は予想もしなかったはずだ。
ニクソンと毛の会談が中国の隆盛に影響を与えたとすれば、それは一から米中関係正常化に取り組む鄧の手間を省いた点だろう。さもなければ鄧は、72年以降も孤立状態が続いた中国を欧米に接近させるため多大な労力を払うことになったはずだ。
修正主義者が忘れがちなのは、米中関係は常に不安定であり、対中関与政策は米中両国の事情から常に崩れる危険性があったことだ。89年の天安門事件によって米中関係は揺らいだ。ジョージ・W・ブッシュ大統領の時代にも、急成長する中国を地政学的脅威と捉えるネオコン(新保守主義派)によって中国封じ込め政策が唱えられた。